人気ブログランキング |

Vamos

あるブログの記事で 読んだことば。

「私はできる I can」と言うヒラリーに対して、オバマは「私たちはできるのです Yes We can」と言ったから勝てたのだと、東照二という立命館大学教授が分析している。

ずっと 頭のすみにひっかかっていて 書きたいと思っていたこと。
ただ このブログの記事とは 全然関係なく このことばだけが一人歩きしてわたしの中にあるので リンクはさける。
で これは ヒラリー氏を擁護するつもりもないし オバマ氏を批判するつもりもない。
まあ ヒラリーのこと好きなのねって言われるとちょっと落ち込む かも。


愛は束縛 (新潮文庫)
フランソワーズ サガン / / 新潮社
スコア選択:


江國香織さんはこの小説を、「お酒をたっぷり吸ったブランデーケーキみたいな恋愛小説」と表現しました と言うのを アマゾンのカスタマーレビューで読んだけど そんなにおもしろいかどうか。 読む時期の恋愛状況にもよる とだけ。
ただ この本の中でとてもおもしろいことがあります。

この小説は 金持ちの妻と 金のないピアニストの夫の生活なんですが
妻は かならず 私たち ということばを使う。
現実には全部彼女のものなのに 私たちのお金 私たちの家 私たちの車・・・・
そして 何かしたい時 「私たちは 今日は レストランで お食事がしたいわね」 というように
一人称複数形で話す。
なるほど これは 便利と スペイン人と結婚したわたしは思いました。
スペイン語にしろ フランス語にしろ 動詞活用が 主語によって 変化する。
これは とっても便利なテクです。

「わたしは★★★したいけど あなたは?」といわず 「私たちは ★★★したいわよね」
という表現は 命令形ではないけれど 命令形に準ずる威力を持つし はっきり命令していないぶん 拒否しにくい という心理を利用しているとおもう。

われら (岩波文庫)
ザミャーチン / / 岩波書店
スコア選択:


これは ロシアのアンチユートピア小説です。 この社会では われら しか存在せず
「わたし」とか「ぼく」は 存在しない。 その社会で 個を認識した主人公の物語。

すばらしい新世界 (講談社文庫 は 20-1)
ハックスリー / / 講談社


にも通じるものがある小説です。

私たちというとき わたしとあなたたち わたしと彼ら という関係以上に わたしたちの正義 わたしたちの信念 ・・・というような 無意識の認識が入り込み そこには 素直な記述よりも 隠された命令形が 入り込んでるのではないか そんな気がします。
わたしという時 それは 具体的な わたし自身だけど 私たちというときに入り込むあいまいさ。わたしたちが走り始めると どこに行くのかよくわからなくても 走り込んでしまう という危険 があると思います。 だから デカルトは 「コギトエルゴスム」と書いたのではないか それは「唯我独尊」のラテン語訳なのではないか そんなことを考えております。








遠回しの命令形ということでふと 思ったことをついでに。

「野叟のつぼやき」の記事 


その日も、ペテロは場当たり的なことを言った。
その日とは、イエスが逮捕される日。
「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」
ペテロはイエスにこう宣言するのだが、イエスはそれに応えて言う。
「ペテロ。あなたに言いますが、きょう鶏が鳴くまでに、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」

ペテロは正義の人だ。
自分の中の正義が、自分は主イエスを絶対に裏切らないと豪語させる。
だが、こういう人物の言葉は軽い。
「絶対に」という言葉を多用する人間の「絶対」などおそらく誰も見ることがないように。

ペテロは、イエスの言うとおり、いとも簡単にイエスを裏切った。
「おまえはあの男の知り合いではないのか?」と問い詰められ、三度、そんなことはない、あんな奴は知らないと首を振った。
その時、鶏が鳴いた。


エル・グレコ作 サン・ペテロ

e0061699_8221114.jpg


「ペテロ。あなたに言いますが、きょう鶏が鳴くまでに、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」 というのは イエスの暗示的命令形だったのではないか と 解釈してみたいのですが どうでしょう。 イエスは 実直でバカ正直なペテロが 自分と一緒に死ぬだろうと予測した。
だから 生き続けなさい そう ほのめかしたのではないか。
そして ペテロは その意図がわかったから それに従い 従いながらも自分の意志にそむいて結果 裏切ったことになる屈辱に泣いたのではないかと。
だって ペドロ(ペテロのスペイン語名) と名の付くおっさんだらけのところに住んでるんで。
そういう解釈もありかなと。 
明日 ペドロに直接訊いてみよう。

ブログへのリンク 省略。 
もしかして こっちのブログへのリンクはいやかな と思って。
でも 聖書っておもしろいですよね。
まだスペイン語がわからなかった時代 ひとりで 礼拝に入った時 神父さまが聖書を読んでいた。 その読んでいる音で どのページを読んでるか 見えた。
それは ものすごい感動でした。
教徒にはならなかったのですが。 ことばの威力というのは すごいものです。

イエスが ユダヤ人だったのだから ある意味で彼自身も 裏切り者だったわけです。
そして ユダヤ人のためだけだった教えを 全ての人へ 平等に というのは ある意味革命だったわけで つまり 政治的な意味合いからも とても重要な気がします。

宗教の問題にしろ 政治の問題にしろ 何かを語る時 人間は 自分自身に誠実であるしかないのだ と思います。
トラックバックURL : https://cazorla.exblog.jp/tb/8361908
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。
Commented by maron415 at 2008-07-25 08:55
「I can」の話はどっかで読みました。
応援している人たちも違うって…
戦略勝ちかい?と思っただけなんだけどね。

確か「We Are The World」ってあったな…
Commented by antsuan at 2008-07-25 09:54
我らブログ仲間と云うよりも、ブログ家ですって云う言葉を流行らしたい。(苦笑)

あゝ、むずかしくて頭がこんがらがりそうです。
と言うことはですよ、ペテロだけでなく、ユダにも同じことが云えるのではないかと、あっちの方のリンク出来ないブログの管理者のところへコメントしたことがあります。

Commented by cazorla at 2008-07-25 10:18
マロンママさん オバマ氏って具体的によく知らないのですが
彼が なったほうが 歴史的な意味はあるかな と思います。
それに ヒラリーはねーーって 別に夫がハンサムだから焼いてるわけではありません。 

WEて言うのは すごくアメリカ的 とも言えるかもね。
と その歌のことを思い出して 思った。
へそ曲がりだからすなおに感動できなかった。
歌詞の一部はすりこまれたけど、
Commented by cazorla at 2008-07-25 10:21
あんつぁん ペテロって カトリックて゛は 初代教皇でもあるし
歴史的に見れば キリスト教を ユダヤ教の1セクトから 独立した宗教にした という人もいます。
だから ユタとは ちょっと違うのではないか という気も。
あと 生き延びた ということが大事なのではないかと。
生き延びて イエスが望んだことをした。
ユタは自殺しちゃったということで
聖人ではなかったよね。。。て 急に不安になる。
そういう名前の人がいないから そうだとおもう。
Commented by toqqun at 2008-07-25 12:04
「私たち、・・・したいわよね」って、すっごくひっかかります。
勝手に決めつけないでよ、って思ってしまう。
おばさんグループで食事に行くと、誰かが「これ」って言うと、まわりが
「じゃあ、私も」「私も」・・・ということがあります。
これが大嫌い。
みんなそれぞれ自分の食べたいものを頼めばいいのに。
それと、昔、「わたし、待つわ~♪」という歌が流行ったときもいやだった。
勝手に待たれても困るよな~と思ってた。

(なんて少々次元の違うコメントでごめんなさい)
Commented by cazorla at 2008-07-25 18:33
とっくんさん さすが おばさま族は そのテク使ってますか?
それって たいした問題ではないような気がしても
実は 根本問題ですよね。 

待つワーんってタイプは そのあとで 恨みが強かったりする。
自分の勝手で待ってたっておもえないのよね。
次元 全くおなじです。 そーゆーことが言いたかったのですから。
Commented by npura at 2008-07-25 18:51
そろそろ「・・・・・つぼやき」さんが現れる頃かなっと(笑)
女性の涙に弱い私はヒラリーを応援してました、残念!
日本では小浜市というのがあり、そこが応援してたので反発したのがあったかも
私達と言う言葉は好きではないです
「私達は・・・」などと言われると「私達って誰と誰?」と突っ込みたくなります(笑)
Commented by syenronbenkei at 2008-07-25 19:15 x
どっちもすごくおもしろいでつ。
いや、さすがだなぁとため息が出まつ。
そういう見方、できますし、そうだったかもしれません。
結局はその言葉を自分がどう解釈するかということに全ては帰結してしまうわけで、つまるところ人間は自分のことしか考えない、、、と言ってしまうのはちょっと難があるか(笑)

で、どっちの見解にも反論ではないものの反論めいたものはあります。
でも簡単にはまとめられないんで、とりあえず引っかけておきます。
今日はこれから阿波踊りの練習で忙すぃ。

でさ、昨日の記事にヘンリー・ドビングはアイロニーにも縁のない、、、
ってなことが書かれてるけど、cazorlaさんの僕に対するコメってもしかすて(笑)
Commented by cazorla at 2008-07-25 19:53
プラーさん 女性にやさしいっ。
町の名前で 似てるからって・・(笑
まだむ・すし と 同じレベルか ですね。
美人に言わたときのみ 僕と君 と 決定する。
Commented by cazorla at 2008-07-25 19:58
セイロンベンケイさん 
反論めいたものは そのうち記事にしてくださるのでしょうか?
楽しみにしております。

聖書は 読み方でずいぶん変わるし 読む時期にもよるし
そういう意味で一番おもしろい読み物かもしれません。
て 言い方すると 叱られるかもしれませんが。
でも 宗教に関係なく 教えのベースになってるものを 読んでいくと なるほどね と お互いに理解できることもあるかもしれないから。
コーランも読んでみたいと思いつつ まだ手に取っていませんが。。。

もしかすてもしかする?(笑
名前
URL
削除用パスワード
by cazorla | 2008-07-25 08:49 | スペイン 文化 言葉 | Trackback | Comments(10)