カテゴリ:思うこと( 132 )

母の国際キャッシュカードが使えなくなった件。
デビットカードに切り替えればいいんですが、
前回、家族がいないと難しいと書きました。
家族はいるんですが、一番歳が近いいとこが70歳。
そうなの。
だから難しい。

pcでできることになっているんですが、スマフォにグーグルクロムをダウンロードしなくてはいけない。
で、スペインのスマフォでできるのではないか、
いえ、できないんです。
外国のスマフォだとできないんでしょうね?
多分。

pcでしようとすると
銀行のアカウントには入れるの。
で、いくら口座にあるかも見られる。
ところが、デビットカードに切り替えができない。
しようとするとあなたのEメールにはグーグルクロムが入ってませんって出る。
私はスマフォ使ってないんで。
それで、グーグルクロムで使っている息子のEメールを入れると
これはアクセスできません。

てことはやっぱりスペインのスマフォではできない?
それとも、息子のだからできない?
名前を変えればできるの?

よくわからないけど、帰国してスマフォを買って、デビットカードに切り替えようと思うのですが、
その場合、プリペイドカードでできるのだろうかという疑問が。
日本まで行ってできなかったら?
どうなる?

0120 28 6079 三井住友銀行のフリーダイヤルです。

誰かヘルプミー!!

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セビリア


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by cazorla | 2018-04-19 07:02 | 思うこと | Trackback | Comments(6)


人生ってなんでこんなに大変なの?
と私のようにラクをモットーにして生きてきた人が言っちゃあいけない。
いやあ、わかってるんだけど、やっぱり大変。

うちはねー、スペインの最低給料くらいしかもらってない。
それでもね、田舎で暮らす。
持ち家で暮らす。
ほぼ、手作りで食事をする。
私は基本、女性が欲しているものに無関心。
だから、どうにか生きていける。
そして、息子と娘が外で生活してる。
息子はピアニンストなんで、いや、ピアノ科の学生で、
グランドピアノを置ける家に住まなくてはいけない。
スペインの学生なんてシェアハウスでせいぜい200ユーロくらいのところで生活しているのに、
息子は、グランドピアノを置けて、しっかり弾けるレジデンスに住んでいる。
とは言え、安いバダホスなんで450ユーロ。
それに生活費プラス授業料、プラス特別レッスンがあった時の支払い。
そして、娘の分があって、お給料はなくなる。

それでもやっと奨学金が入ってホッとしてる時に、問題が起きてしまった。
母のカードが使えなくて、年金を下ろせない。
年金がないとどうなる。
母の生活費まで出せないし、母は子供達の教育費を援助してくれてるんです。

なぜ、カードが止まってしまったの?
マイナンバーのせい?
月曜朝一番で電話する予定。
週末は色々と辛かった。

田舎に住んでるとね、お金ないときはあっちこっち
肉屋も八百屋もつけにしてもらえるの。
つけをして初めて村人だよって言ってもらった。

その時のことを書いた記事はこれ↓






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by cazorla | 2018-04-16 00:44 | 思うこと | Trackback | Comments(0)

2匹の犬を連れて歩いていると、ふと縁日の風船を思い出す。
縁日の風船。
水素ガスでふわふわ空を飛ぶ風船。
1個いくらだったけ?
三角帽子をかぶってたよね?
1個しか買ってもらえなくて、うっかり手を離してしまった日のことを覚えてる人って多いよね?
すっと空に吸い込まれていく赤い風船。
赤い風船を見つけに出かけたいから日本旅行で出かける?

2匹の犬を連れて歩くと、2本の風船の紐を持っている気分になるんだ。
2つの風船。
買ってもらえなかった、2つの風船。
ふわふわとそれぞれに風に舞い、小さな私はうまく制御できないのだ。

2匹いると1匹の時とは違う可愛らしさがある。
1匹の真似をして匂ったり、アヒルを追いかけたりして走り回る。
1匹だけの時とは違う愛情のようなもの。

末っ子の写真をアップした時のミミズさんのコメ。
「何でだろう?
カソルラさんのブログってあんまり「親」感がないんだよね。
親の漢字の成り立ちみたいに、木の上に立って見る的なイメージ。
冷たいとかいうのとは違って、親子の間で適度な距離が保たれてるというか。
でも今日の記事は距離が近ーい(笑)
写真を撮りながら、アルバロ君(だよね?)以上に笑顔のカソルラさんが見える気がする。」

距離感って多頭飼いなんだよね、きっと。
今はさ、末っ子1人だけ残っちゃたから。

それともう一つは、やっぱり自己愛の人だからというのがある。
ひとりっ子だし、私ね、実は自己愛の塊の、自己中心的な、そういうやつなんだ。

最後だから末っ子に3歳半まで授乳していた。
それは、末っ子が可愛いからなんてことじゃなく、
授乳している私が愛おしかった。
これで最後だなって。
もう産めないし産まないし。
41歳の出産。
妊娠中毒にもなって、死にそうになって、そうして産んだ私が愛おしかった。

まず、私がいる。
愛する私がいる。バッカみたいに私は私が大好きでね。

昔、喫茶店で女の子の後ろ姿を見て、あーなんて可愛いの抱きしめたいと心から思ったら、それは2枚鏡のいたずらで、そうよ、その後ろ姿は私。
私、それは私。
自己中で、60近くまで生きてきたって、そしてそれがずっと続いているってすごいね。

私は子供達が好きだけど、子供達より好きなのは、夫で、もっと好きなのは私自身。
そうやって生きてきました。

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アーモンドの花。
これは先月アルカラ・ラ・レアルに行った時。
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自己愛の私が、
2つの風船のイメージで、2匹の犬の世話をする
やっぱり一応締めました。

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by cazorla | 2018-04-13 05:49 | 思うこと | Trackback | Comments(2)

おばあさんの手

ミミズさんのブログでこれを読んで以来ずっとおばあさんの手の映像が目の前をちらつく。

何年前のニュースだったか。
ホームレスの老婆だったと思うが、誰かから市役所に相談に行けと言われたらしく。
でも市役所はもう終業時刻で、職員がカンパンの缶詰を渡して「明日来て」と言ったらしい。
老婆はその晩、市役所の敷地内で死んでいたとか。
胸にカンパンの缶詰を握りしめていたと報道された。

ホームレスの人が市役所に行ったということはかなり切羽詰まっていたんだろうなと想像する。
せめてボランティアの人に連絡するとか、そういうことを考える。
老婆ということばで、母と結びつけてしまう。
90歳になった母と。

母が カンパンの缶を両手で抱えている姿を想像する。
母はもう歯が悪いので、誰かが開けてくれたとしてもそれを食べることができないだろう。
食べられないカンパンを抱えて夜を過ごす。
母は戦時中に食べた配給のカンパンを思い出す。
戦争中のかわいそうな青春よ、と笑った。
それでも母は青春時代をやはり懐かしく思うのだ。
多分。
若く、かわいい、その時代を。
戦争が終わって祖母に内緒で見にいく映画のことも。

食べたものより食べなかったものを強く思い出す。
付き合った人より付き合いそうになって付き合えなかった人を思い出す。
愛したはずなのに、愛さなかった人が懐かしい。

矛盾をいっぱい抱え込んで、寒い夜、食べることもなく缶の中から出しそびれてしまったカンパン。
カンパンはいつも手のひらの中にあるはずだった。
カンパンを食べられなかったからと、かわいそうに思うのはやめよう。
カンパンはきっと青春時代を思い出させていたに違いないのだから。
だから歩くのをやめてそこで静かにあっち側に行ってしまったのだ。



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by cazorla | 2018-01-16 04:57 | 思うこと | Trackback | Comments(18)


もう10年くらい前になると思うけれど、外国人と言わなくちゃダメという記事を読んで違和感があった。
外人墓地ってことばはダメなの? と。
外国人墓地だと短歌が書けないじゃないか。
だいたい、外人と言わず外国人というようにしていますって人が私はどうも胡散臭い。
だってどういう状況で外国人ってことばを使うのよ?

じゃあね、ちょっと上品な料亭とか日本料理屋さんで「外国人お断り」と書いてるところ多かったけれど(90年代ね、今のことは知りません。)、外人お断りはダメで外国人お断りはいいんですか?

とにかく、まず元日本在住外国人である夫に訊いてみた。
「外国人、外人と言われたことがありますか?、そしてそれに対して不愉快と思ったことは?」
「呼ばれたことはあるけど、別に不愉快でも愉快でもなかった。」


このツイートでのコメント欄でふーんとか思いながら読んだ。
基本的には本人を前にして外人であろうと外国人であろうとそういうことばが出ること自体が変なんではない?

うちの娘がまだ小さいとき、乳母車に乗せていたころ、若い女の子たちが
「いやーん、かわいい! ガイジンみたい!」
「ガイジンよ」
「ガイジンの子供ってかわいい」
と叫んでたけど、悪気があるわけではないのはわかっていても不愉快だったし、第一娘はすごく嫌がってた。
いつかそういうことをどこかに書いたら、そりゃあかわいいんだからそういうのはしょうがないんじゃない?とコメントをいただいた。
でもね、もし対象をちゃんとした人間、一人の個人として認識していればそういうことばは出てこないと思う。
ウィンドウに飾ったお人形じゃないんだから。

ことばだけの問題じゃないんです。
どう使うか、使うべきかどうか。

例えば、



「ねえ、見て外人がいる。」っていう神経のなさが、ことばだけの問題じゃない。
ここで「ねえ、見て外国人がいる。」だとしても、嫌な感じがするのではないでしょうか。
そして同じページでフランス人女性が、紹介されるときに「外国人の〇〇さん」ではなく「フランス人の〇〇さん」と紹介してほしいと書いているのを読んで、そんな風に人を紹介する人が存在するっていうことに驚愕しました。

これは「外国人」とか「外人」とかいうことば以前の問題。
最初のツイッターでずっとコメントを読んでいると、どこ出身か質問するときも「失礼ですが、どちら出身ですかと訊く様にしている」というのがあって、それに対してもう他の人が「そうですよね。出身国は個人情報だから、失礼ですが、というのは常識ですよね」的な会話があってこれもびっくりした。

田舎に住んでいると「どこ出身?」と訊かれることが少ない。
スペインで、都会というか少し街に行くとちょっと話して、どこ出身?はごく普通にある。
長い間、カソルラに住んでいて、リナレスのコンセルバトリオに行った最初の日にデパートで訊かれて、あーここは都会だわと思った。
それは個人を個人として受け入れるということ。
その人を人間として受け入れるということ。
どこ出身かと訊くのは、失礼でもなんでもない。
どこ出身か訊いて、もし知らない国であれば質問してみよう、いろいろなことを。
誰でも自分の国を誇りに思っているに違いないんだから。

外人にしろ外国人にしろ、本人を前に言うってことが問題なんです。
なんで、どう言う状況で言わなければならないのか。
そう言うこと。
言う必要のないことばは言わない様にしよう。

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カソルラは田舎なので住み始めてすぐの頃
いきなり「中国人(チナ)」と言われたことが何度かありました。
その度に、今あなたが言ったことばの意図はなんだろう?と問いかけていました。
そしてそのことばを発する目的はなんで、その目的は果たせたかどうか、一緒に考えてみようと。

彼らは何も考えない。
考える機会を与えてやっと世界が見えてくる。
私が一人の人間で心を持っていることも、やっと気づく。





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by cazorla | 2018-01-11 06:22 | 思うこと | Trackback | Comments(4)

家事にレベルがあるの?

ツイッターで「家事が嫌いってことを認めて楽なる」とかいうのがあって、ああ、私もそうそうなーんて思ったんですよ。
私は嫌いというより、下手だし、やってることがちょっとズレがあるかも。
というか、日本に住んでいた時は、主婦としてそんなに酷いとは思っていなかったです。
というより、かなり立派な主婦だと思ってました。
お買い物の量だってスペイン人夫を持つ身としてはかなり頑張らなくてはいけなかったし。
お買い物して帰っていると、ご近所の奥様に「あらー、象を飼ってらっしゃるの?」なんて冗談を言われるくらい。
トマトを3キログラム、じゃがいも5キロ、肉類とチーズは1キロの塊などなど。
一人で持って帰れる量は限られているから毎日買い物。
お掃除はまあ普通に。
どうせ下落合の分譲マンションなんて狭いから掃除はあっという間。
お洗濯。うちは布おむつ使ってたからそれなりに。
でもそれが大変だとはちっとも思っていなかった。
他の主婦と比べてもまずまずのできだと。

ところがですね、スペインに住み始めると周りは筋金入りの主婦の集まりで、とにかく大変。
基本、体力が違う。
家に対する愛情が違う。いつ行っても、犬のいるお家でも、床がピッカピカ。
すごいなー。
いつもモップでピカピカになるまで磨いてる。

ある日ドイツ人主婦と話したらもっとすごい。
ドイツ人主婦がぼやいてた。
スペインのモップってやわだから、毎週1本折れるのよね。
ゴシゴシゴシ。
私はモップを折ったことなんぞない。
夫は月に1本折ってるけど、ドイツ人主婦のその愛情はまたも私を驚かせる。

とにかくそういう筋金入りの主婦に囲まれているから私はギブアップしてしまった。
体力ないですし。
そして夫が筋金式の掃除をしてくれるようになった。
そうじゃないとヘタレ日本人主婦はとてもじゃないが生きていけない。

まあ、それでツイッターの話ですが。
家事が嫌いと認めたところで楽になった、と書いていたんで、
ちょっと「同志」なんて思ったわけですよ。
で、「私もねー。
でもね、スペイン主婦に言われたの。
家事が好きとか嫌いとかっていう人初めて!(ゲラゲラゲラ)
家事は息をするようなもの。息をするのに嫌いも好きもない」

このエピソードは私はなかなか気に入っています。
彼女はそう言ってそのあと色々アドバイスしてくれた。
掃除の仕方、さっさとやってとにかくいっぱいしたと思える状態にするためのコツのようなこと。
それはともかく、息をするように家事をするスペイン主婦に囲まれて、大変だよんというエピソード。

するとツイッターの主はこう答えたのです。
「日本の家事レベルは高いですから。」

私と世界観が違いすぎる。
家事にレベルがあるということ。
レベルという考えが、実はすごく日本社会を窮屈にしているのではないかということ。
いや、色々なことが頭をよぎった。

でもね、ドイツあたりに行くと日本人は掃除が下手だから家を貸したがらないんですよね、などとつい言ってしまった。

「それは日本の恥です。」

ドイツ主婦の目から見れば日本主婦の掃除なんて、ほとんど掃除のうちに入らないかもしれない。
第一、日本在住の時、ドイツ人主婦のように家事をガンガンしてる人なんて見たことなかったし。
地方では日本にもガンガンしている人がいるのだろうか。
だいたい、ヨーロッパの家というのは、特に水回りに関してはかなり神経を使って掃除をしている。
しないわけには行かない。水が硬水だから。
石灰が溜まって水道だってあっという間に詰まってしまう。ステンレスが曇る。
窓ガラスは綺麗にしなくてはならない。
オランダあたりだと窓はプロに頼むというくらい、徹底して透き通らせる。
我が家のように小さい家でも窓は14個。
そして硬水の雨が降る。

日本の家事レベルが低いとは言わない。
キャラ弁を作ったりする主婦たちはすごいと思う。
ただね、私はレベルがあるとは思えないんです。
いや、レベルなんて考え方がいろんなことの間違いの根っこなんじゃないかと思います。
だって、アメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、スペイン、フィリピン、日本、中国とどんなレベルがあるんだろう。
レベルではなく、種類が違うってだけでしょ?
種類が違うという考え方がないから、差別とか疎外とかいろんな問題が起きてるわけで。

「禁じられた恋の島」というイタリアの小説。
お台所のない家に住んでいて、毎日寝る前に小麦粉をこねてパスタを作っていた。
こねたパスタは伸ばしてベッドのヘッドボードにかけて乾かし、次の日に切る。
台所ないから台所の掃除はないけど、毎日スパゲッティーを作る生活ってすごいよねと思った。
世界中に色々な家事の種類がある。

田辺聖子の姥ざかり花の旅笠などを読むと商家の主婦が旅をして紀行文を書いたり、短歌を読んだりしている日本のいにしえのことが紹介されている。
日本の主婦が生み出す文化というのはすごいと思ってます。
スペインには「kakeibo」が売っていたり、お片づけの日本女性、なんたらまりこさん??、そういう本が売られていたりします。

でも、やっぱりレベルをつけるというのは、ちょっと違うと思います。
レベルとかレッテルとかそういうものをつけると見えているものが見えなくなったり、する。




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ビワの花。
幸田文さんがエッセイの中で1年の最後に咲いて、忙しい時期だから誰も気づかないうちに散って行くと書いていました。
そんなビワの花。
でも、ビワの葉っぱもビワの種もなんだか薬効がすごいらしいですね。
バラの花のように華やかじゃないからってやっぱりレベルが低いとかそういうのはないですよね。


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by cazorla | 2018-01-09 07:39 | 思うこと | Trackback | Comments(6)

1990年に初めてスペイン旅行をした。
地球の歩き方が流行っていた時期。
地球の歩き方が地球の転び方と呼ばれていた頃。
HISが格安旅行券を売り出して、私もそこでアエロフロート航空で出かけた。
トイレットペーパーが分厚くてほとんどオーブンペーパーのようだった。
ソ連の飛行機。
座席の通路が狭くて、ソ連人のスチュワーデスさんが通るたびに肩を少し内側に入れなくてはならなかった。
日本人スチュワーデスと全く違う、大雑把な対応。
機内食に関しては何も覚えてない。
不思議なくらい何も記憶に残っていない。

周りには日本人がたくさんいて、どのくらい旅行するの?とかいろいろ話していた。

当時は、まだ飛行機で喫煙できていた。
どちらかといえば、喫煙者の方が禁煙者より幅を効かせていた時代だ。
禁煙席を選んだが、私の一つ前の席は喫煙席。
ほとんど禁煙席の意味がない。

旅行前に風邪をひいていた。
なんとか、熱も治り、咳も止まっていたのだが、前方から流れる煙で咳がまた出始めた。
下手をすると、咳が止まらなくなる可能性もある。

こういう時、普通はどうするのだろう?

私はスチュワーデスさんに相談した。
席を替えることが可能かどうか、とにかく酷いほど咳がで始めた。
スチュワーデスは前の席に座っているグループに話した。
彼らはスペイン人だった。

そのあと、彼らはタバコを後ろの別スペースまで行って吸うようになった。
おかげで咳も止まった。
スチュワーデスさんが、飲み物をひっきりなしに持ってきてくれる。
毛布を持ってきて、くれる。
飴を持ってきてくれる。
そうやって、やっと落ち着いたとき、周りの空気が変わっていることに気づいた。

「日本の恥だ。」
と誰かが言った。
それが私に向けて言われているのか、すぐにはわからなかった。
「非国民」と誰かが言った。
「信じられない!」ともう一人が言った。
そしていくつかのののしりの声を聞いて、それから日本人乗客たちは誰も私と口をきかなかった。

マドリッドに到着して、スペイン人たちが口々に体に気をつけて旅行するようにと言ってくれた。
タバコを吸う人も吸わない人も、みんなが口々に挨拶して、軽くハグをしてくれて、別れた。
スチュワーデスさんも、体に気をつけて、良い旅になりますようにと言ってくれた。
日本人乗客たちだけが、私を冷たい目で見ていた。

私はずっとこのことが心に引っかかったまま過ごしてきた。
もう30年近く昔のことだ。

引っかかっている。そして答えが見つからない。
夫に話してみた。

「それはね、日本人は我慢しなくてはいけないと思っている。
特に相手が欧米人だとなおさら我慢して何かをいうのはタブー。
僕はなんてたって、10年以上日本の外務省で働いてるからそういうことはよくわかる。
君は日本人なのに本当に日本人の心を理解できないね。」
そう言って夫は笑った。

我慢しないから日本人の恥?
やっぱり相変わらずわかっていません。
無駄な我慢は何の解決にもならないと言われて育ったので、やっぱりわからないまま歳をとって言ってます。
幸いなことにスペインに住んでいるので、あまり問題も起きないで誰かに怒られたりしないままに。

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写真は最近のマルタ島行きの飛行機


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by cazorla | 2017-10-13 06:23 | 思うこと | Trackback | Comments(6)

某ブログで、父親であるブログ主さんが家族の洗濯をして干す。
当然、20歳くらいのお嬢さんの下着も干す。
これに対して、「母親」が「恥じらい」を教えるべきではないかとコメントが入っていた。

恥じらいって何?

日本女性の恥じらいとか言って、これは日本の女性独自の文化のように感じている人も多いようだ。
本当に日本女性って恥じらいがあるの?
下着問題と恥じらいは、少し別問題なのではないかと感じる。
ここの辺はすごくややこしいので一つずつ検証した胃と思います。

恥じらいというのは「個」の認識だと思う。
自分がどういう存在か。それは「他者」の認識と対をなしている。
他人がいなくては恥ずかしいという気持ちは生まれない、もちろん。

足を広げて座るのも、電車で化粧をするのも、他者を意識していないから。

マドリッドのティッセン美術館は私立であることも関係しているのか売店で素敵なものがリーズナブルな値段で売っている。
ちょっとしたお土産にもオススメな小物が多い。
美術館そのものは印象派が多いので、そんなに煩雑に行かないが、たまに売店に入る。
売店は人気があって、結構繁盛している。
いくつか選んでレジに並んだ。結構、待たなくてはいけない。
後ろに並んだノルウェーから来た青年とおしゃべりしながら待っていた。
すると、日本女性が当然のように私の後ろに割り込んで来た。

私も彼も並んで待っているのにどうして割り込んでくるの?ときいてみた。
すると、その質問にびっくりしている。
「並ぶべきじゃないかなー? 割り込みなんかしたらよくないよ。」
「私たち同じ日本人でしょ!」と答えが来た。

この人たちは、日本では(たぶん)割り込みなんてしない。
でも、スペインで私という日本人をみて、全く良心の呵責もなしに割り込んで来た。
これは「個」の消失。
または、私と彼女たちは同じ日本人というくくりで、「個」の広がり。
私のことを他者とは思わなかった。
「私たち同じ日本人でしょ?」という言葉がそれを表している。

割り込みはよくないというと、時間がないという。
時間がない。せっかくスペインに15時間もかけて来たのに云々。

どちらにしてもそれは後ろに並ぶ人たちに、許可を求める問題。
スーパーのレジなんかでもよく、「今から子供を迎えに行かなくちゃいけないから、先に払わせて!!」とどなるママたちがいる。もちろん優先。

最終的には、日本人観光客用の別レジができて、そちらで支払いをして大急ぎで出て行った。

恥じらいは教えるもの?

前述した女性たちは、多分1950年くらいに生まれた人たち。
当然、「恥じらい」教育は受けてる。嫌になる程。
多分、最近の子はまたを広げて座ってけしからんなどと言ってるかもしれない。
それでも、堂々と割り込むなんて、恥じらいなんてないでしょ?

教えても無駄なんじゃないかなと私は思う。

それより、「個」の確立、他者とは違う自分の存在を認識すれば、どういうシチュエーションでも「恥じらい」のある行動はできると思う。

というふうに書いていてふと思ったんだけど、「恥」という言葉はだいたい「日本の恥」とか「家の恥」という感じで使われますよね?
「個」が家や日本という広範囲に広がって認識されているのが日本に置ける恥の本質かもしれないと思いました。

下着を見られるのは恥ずかしいこと?

下着を見られることは恥ずかしいことがどうか。
他人に下着を見られるのは恥ずかしいこと?
もし、勝手に下着を入れた引き出しを開けて、見られるとイヤですよね?

なぜか。

ずいぶん昔のテレビ番組。1970年くらいです。大昔。
久我美子だったか誰かが死を宣告されて、パンティを切り刻む場面が私の脳裏に深く残っている。
70年代はガンになったらほぼ絶望的だった。そんな時代。
70年代はほぼ福助のパンティを履いていた。そんな時代。
白い木綿で、使っていると黄ばみが出てくる。そこんとこを死んだ後にそれがたとえ家族であろうと娘であろうと誰にも見られたくない。それはとても恥ずかしいこと。

死んでいく怖さに比較したらそれは大したことではないかもしれないけれど、確かに大事なこと。
パンティを小さく小さく切り刻む。
そういうちょっと見られては困る、今、突然、交通事故に遭ってしまったら、見られては困る下着が引き出しには一つくらいあるでしょ?

これまた、ずいぶん昔、フランソワーズ・モレシャンというフランスのおしゃれ評論家だかなんだか、
色々な本を出して、フランスの女の子はどういうふうに日常のおしゃれをするか書いていた。
もちろん、私も一所懸命読んだ。
そこには、万が一に備えてレースのついた可愛い下着をいつもバッグに忍ばせておくこと、と書いていた。
万が一とはつまり、愛の一夜が突然起きるかもしれないということ。
なるほど、と私の頭にしっかりインプットされ、ほとんど無駄だったけど、レースフリフリパンティはいつも私のバッグの中にあった。
これはね、身につけている下着は、もしかして臭いがあるかもしれない、シミ(何かの!)があるかもしれない、古くてヨレヨレかもしれない、というような理由でちょっと「恥ずかしいもの」なのです。
当時はまだ「勝負下着」なんて言葉もなかった。

でも、同性の家に泊まることになっても、やっぱり予備の下着を持っているというのは大切な習慣。
同性が見てもやっぱり「恥ずかしい」。

父親が下着を干すこと

前述のブログの話に戻ります。

父親が下着を干すことについて、もし抵抗があるとすれば、それはなぜでしょう?
それと恥じらいって関係あるの?

コメントで「母親は娘たちに恥じらいを教えるべきだ」というようなことに対して『でもね、子どもがオムツしてる頃から僕が洗濯してるんで、子どもにとっては今さら違和感ないんでしょうね。」という答え。
つまり、父親を他者とするかどうかがここでは問題になるのではないかと思います。

父親がいつも家にいなくて、寝るのが早い子供は下手をすると週末しか会えない。
すると父親は、週末の「訪問者」としてインプットされる。
そもそも母親を「他者」として認識するのはかなり成長してからです。
お尻が気持ち悪いなーと思うとオムツを替えてくれる母親は自分の一部。
鼻がかゆいから指でかく、それと同じ。
鼻をかく手は自分の手。それと同様にオムツを替える手は「自分」の手。
そこには他者認識がないのです。

うまくいっている夫婦の子供が最初に発する言葉は「ダディ」だとアメリカの研究報告があります。
それは、生まれた初めて認識する「他者」だから。
人の名前を呼ぶ、というのは他者認識。自分のことは呼ばない。だから、ママはその後になる。
うまくいってない夫婦に当てはまらないのは父親は排除された「他者」だからだそうです。
もちろん、全てが日本の家族に当てはまるとは限らないのですが。

ところが、父親が甲斐甲斐しく赤ん坊の世話をしているとそれも変わります。
父親を他者だと思えない。
個が確立した後も、ファミリーとしての認識がずっと強く、下着を干されていも違和感がない。

つまり、父親が自分の下着を見ることに違和感がある女性は、父親が自分を性の対象として見るかもしれないという恐怖もあるのかなという印象があります。

だから、これは「恥じらい」の問題ではなく、父親の存在がどういうものか、という、娘にとってどういう位置付けがされているかということなんじゃないかと思います。

息子が下着を干すこと

うちでは息子も洗濯物を干す。
もちろん、娘の下着も私の下着もある。
別に息子にだけ干させているのではなく、娘だって干す。
家事のローテーション。
男女平等ということもあるけど、息子に下着を干させると別のメリットがある。

つまりちょっとやそっとの下着で異常に興奮しない男になる。
人生、しょうもないことでダメにしてしまう人って多いでしょ?
脚を組み替えて、チラチラ、バサンバサンと見せて誘惑してくる女子を無視して欲しいです。
だいたい、下着フェチにもならない。(ちなみにスペインにはほぼ下着フェチはいません。)

洗濯物を干すのは、10歳くらいからしてるから全然抵抗はないようです。
余談ですが、うちの息子と結婚するとメリットいっぱい。アイロンかけも上手だし、ボタンくらいはつけられる。

うちの娘の恥じらい教育

なんてしてません。
反対に私がされることもある。
スパッツを履いて掃除をしていると、「ヴィーナスの丘」が見えるから隠すべきだとしつこい。
田舎のカトリック社会で育ってるから。
家の中だからほっといて欲しいんだけど。

(注釈:わかりにくいかと思いますが、イスラム教もカトリックも基本の根っこは同じところにあるせいか、キリスト教も体の線を出すことがタブーだった時代があります。あのハーレムパンツのようなものがイスラム圏で着用されるのもヴィーナスの丘が見えないための配慮。つまり、ジーパンもNGなんです。ここは中世かと思うんだけど、とりあえず、娘の意思には従ってました。ただし、家の中でまで言われるのはいやだ!最近、娘も都会で学生生活を送っているので、今では普通にジーパン履いてます。)

恥じらいっていうのは社会的な問題かなと思う。
というか社会における自分の存在の認識。
あと、テレビの普及で対象との距離が測れなくなっている。
世界認識がテレビ画面と同じ。
目の前にいる人を、テレビの画面と同様に見る。
これは世界共通だと思う。

電車でまたを広げて眠ってる女子高生の恥じらい云々とかよく書いてるけど、結局、家でテレビを見ている時と状況が変わらないのだと思う、外にいるという意識が少ない。

だから、恥じらいなんて教えてもしょうがないと思う。
教えても、日本の外に出て、割り込みするような恥知らずな行為に出てしまう。
ただ、自分は一人の人間で、外界とどう関わっていくかを認識させることしかできないのではないかなと思います。

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by cazorla | 2017-10-11 16:43 | 思うこと | Trackback | Comments(9)

おーやまさんに久々コメントもらったからってわけでもありませんが、以前書いたニーハルについてトラベルクリップで記事をアップしました。(おーやまさん、こちらにも海の写真はありません)

ミミズさんに笑われたからってわけでもありませんが、できるだけ自分の文書で書けるといいなと思って最近いろいろ考えているのです。そして、このニーハルという、スペインにわざわざ来たらやっぱりアルハンブラのグラナダとかメスキータのあるコルドバに行くから、まず、行こうなんて思わないような町について、読んで楽しいと感じてもらえる記事にしたいなと。

そういう意味では、この記事なかなかいい記事ではないかと自画自賛してしまうのですが、どうでしょう?
最初は、ニーハルの記事は1500文字くらいの小ぶりの記事にする予定で描き始めたんだけど、書いてるうちに楽しくなって、3000文字と少し。実は、ホテルの認知症のおばあさんの話も入れたかったんだけど、長くなりすぎるような気がしてそれはカット。

この記事で紹介しているホテル。2年前に1度泊まって、とにかくテレビがないという点が気に入ってるんですが、オーナーはお母さんが認知症になって、介護しなくてはならないから、ホテルを2年前に始めたそうです。でも、とても静かで徘徊もしない、ただ座っているだけの認知症。いろいろなところにいろいろな物語がある。

ここ数日、夫はノートに図面を描いてます。
新しい家の図面。
え、引っ越すのーなんて聞かないでください。今は、家を買おうにもお金ないし。
ただ、ニーハルか、その周辺で家を建てる計画を一人でしてるだけです。
そして、なぜかその家にはグランドピアノがあって、かなり広く、パティオが二つもあるし、

グランドピアノ
息子の学生寮に置くグランドピアノは買いました。
100万円くらいの中古のでいいじゃんと思っていたのだけれど、結局、弾き比べて、それからあの練習量に耐えられるピアノということで、予算オーバーもオーバーで日本円で200万超え。
でも、なんでスペインはグランドピアノがこんなに高いんでしょ?

で、半分借金して、どうにかこうにか。
息子に、人生が嫌になったらこのピアノ売って旅に出るといいよ、と言ったらにっこり笑っておりました。
ピアノを持っていると、そういう選択もありなんだ、いいよねー。




本当に好きな記事なんで読んでください。


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by cazorla | 2017-09-10 07:31 | 思うこと | Trackback | Comments(10)

カソルラに住んで15年になります。
すごい!
一箇所にこんなに長く住んだのは、初めてではないかと思います。
15年住むと0歳だった子供も15歳になっちゃうんですよね、当たり前だけど。
知ってる顔の女の子が赤ちゃんを連れて歩いてるのを見たり、元気いっぱいだったおばあさんが、介護の人に付き添われて歩くようになったり。
15年の歳月はとにかく長い、重い。

日本にも10年帰国してないので浦島状態ですが、日野さんも74歳、立派におじいちゃんになってる。


これをFacebookで紹介していたのは、茶髪のバイオリニストNaoto氏。
かっこいい
と。
そうだ、Naotoも髪染めてかっこいい男の子だけどあれだけ弾けるようになるまで相当レッスンしてきたんだな。
素直に日野さんをかっこいいと言えるのは、真剣にやってきたからでしょ。
燃えるジジイになった日野さんに乾杯。

ただねー、これ見て勘違いしてるじいさんやおっさん、特に中学の先生が生徒叩くのはやめてくださいね。
叩くにはそれだけの、人格と愛情が必要です。
未だに、中学の時殴った先生のこと嫌いですもの。

でも、日野さんはかっこいい。

トラベルクリップの記事で、スペインの城シリーズというのを始めました。
意外と好評だと思います。
第一回は我が村カソルラから。




15年見続けてきたカソルラの城。

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by cazorla | 2017-09-05 00:29 | 思うこと | Trackback | Comments(6)