カテゴリ:スペイン 文化 言葉( 290 )

自分が差別されていると感じてしまうと、とても深い井戸の中に落ち込んでしまう。

どんなにそれは差別じゃないかもしれないと言っても同じこと。

差別って自分の価値観が反映されるものじゃないかな?


最近はこれ。
グッチのセーターが黒人蔑視ということで、話題になりました。
黒人の分厚い唇。
でもね、多くの白人は薄い唇にコンプレックスを持っているんじゃなかったでしょうか。

随分昔に書いた記事ですが、フランス、実存主義時代の歌手、マルセル・ムルージの自叙伝的小説「エンリコ」


解説の中で マルセルは オリエンタルと結婚した西洋人の女は
常に オリエンタルの女に対する コンプレックスに悩み続ける
と 書いています。

ディーネセンも「アフリカの日々」の中でアフリカの女性がつけているアクセサリーがあまりに綺麗で無理やり売ってもらって自分でつけてみたら、自分の醜い肌には全くアクセサリーが映えず、がっかりした経験を書いてます。

差別、差別という人はどこかに白人の方が上という考え方がインプットされてるんじゃないですか?

随分前ですが、エホバの証人が「私たちは中国人だからって差別しないわ。みんな同じ能力を持った人間よ」というのにものすごくムカついたことがあります。
そんなことあえていうこと自体が差別でしょ。


e0061699_21013719.jpg

最後にムルージの曲をどうぞ






by cazorla | 2019-02-08 21:05 | スペイン 文化 言葉 | Trackback | Comments(5)

差別って本当にあるの?

日本人は特に日本国内で静かに暮らしているから、日本を一歩外に出ると中国人と呼ばれるのが嫌いだ。
いきなり「チノ(チナ)」の路上で叫ばれると不快ですが、だからといってそれが必ずしも差別ということではないと思います。

息子がいじめにあっている時 に、周りのスペイン人は「それは差別じゃないの!」と怒ったが、私は差別として一つのカテゴリーに入れてしまうことに疑いを持った。
確かに息子は「チノ」と呼ばれて殴られた。
しかし、「チノ」とは、それ以外に彼を罵る言葉がないから出て来たこと。
そして本人が一番不快に感じる言葉だから使われていたのだろう。

第一、「醜い」とはいえない。
チビ、痩せ、デブ、のろま、ばか。
あらゆる罵りの言葉がどんなに頑張ってもいえないのだからチノと呼んでしまうのだ。

それに、チノにチノって呼んで何が悪い、と私は言った。
チノは中国人。
私たちは中国人じゃないとあなたは言うかもしれない。
でも私たちは東アジア民族。
ほぼ同じような民族なのだ。
7世紀に多くの中国人、それも文人たちが日本に来た。
そして帰化した。
母の故郷は、大分県の日田市だが、どうやら中国人がその頃にたくさん来ているのではないかと言う。
それは、例えば、亀山公園を日田では「かめやまこうえん」とは読まない。
きざん公園と呼ぶ。

チノと呼ばれて怒るのは、私たちの心の中に中国人に対する差別意識があるからではないですか?

息子のいじめ問題は、高校に入って、身長が伸びたことで自然と消えてしまった。
いじめっ子たちが、へこへこと頭を下げて握手を求めるようになった。
もしも「差別」なんて哲学的な意味合いがあったのなら、背が高くなったことくらいで消えるものではないだろう。

チノと呼ばれて、私以上に傷ついていたと思う。

日本人ならチノやチナと呼ばれても実は大したことじゃないんだと、私は思う。
差別だ、差別だと騒がずに、そう言う人たちはただの不躾な人なのだと思えばいい。

考えてみて。
息子は父親がスペイン人だし、スペイン国籍も持っている。
それでチノと呼ばれるのは辛いと思うよ。

あとね、中国が一人っ子政策をしていた頃、中国で不要とされてしまった女の子たちが養女できてる。
彼女たちはほとんどの場合、赤ちゃんの時に来てるから、家族に大事に育てられ自分が家族の一員だと思ってる。
そんな彼女たちが幼稚園に入った途端に「チナ」と呼ばれる。
それもやっぱり辛いと思うよ。

でもね、言ってる方は対して意味なんか考えてないんだ。
なんとなく口について出る。

娘が赤ちゃん時代、まだ東京に住んでいる時に、「可愛い」と叫んでくる女の子たちがたくさんいた。
娘は恐怖で、人嫌いになったし、コンプレックスを持った。
他の違う顔であることに。
可愛いって褒めてるんだからいいじゃんと思う人もいっぱいいる。
確かにチノよりマシかもしれない。
ただ、ここで共通なのは、言われる相手の人格を全く気にしてないと言うこと。

誰かが、スペイン人に「ドイツ人」って言ってもなんだって感じだろうけど
「モロッコ人」って言ったら不快に感じるんじゃないかなって書いてたけど
それはやっぱり違うと思う。
民族ってことがわかってない。
ドイツ人はゲルマン民族だし、モロッコ人はアラブ系。
民族が違う。
それはやっぱりちょっと違う。
違うし、そう言った人は少なからず日本の価値観で物を言ってる。
だって、スペインでは、モロッコ人だからって特に差別してない場合もあるし、
反対にドイツ人に対する差別は目を覆いたくなるほどひどいってことを実は日本人は知らない。

差別ってね、少なからずあることは事実。
でもね、なくならせようとしても無理なんじゃないかな?
じゃあ、我慢するのってあなたは訊くかもしれない
いや、我慢んするってことじゃなくて、差別があるってことを受け入れるんだ。
差別はある。ここにもあるしあっちにもあるし、どこにでもある。

そのことを全ての人が知ること。
チノって言ってる子、君がどこか他の地域に旅をすれば、そこにはちょっと気分の悪くなるようなことがあるかもしれないよって
そう言うことを知れば、少しは変わるかも知れない。

差別は空気みたいなもので、いつもそこにあると思う。
でも、差別だ、差別をしちゃいけないって大騒ぎしない。
だって空気みたいなものじゃないか。

チノって言われたら、言われた理由を考えることも大事だと思う。
私たちは知らないうちに人を不快にしていることだってある。
それを息子にも話した。
知らないうちに不快にされて、君のことを不快にしたいだけじゃないのって。

話が続いてどこにもいけない状態になってしまった。
ただ言いたいことは、差別だって大騒ぎしないで、ちょっと立ち止まって見ることも必要だよってこと。
できれば、不快な気分にされたら相手に不快だよって言ってみよう。
もしかしたら気づいてないかもしれない。

ここに1人の人間がいて、魂があることに。

e0061699_04340690.jpg

末っ子です。
末っ子は、ほぼいじめには合っていません。
兄の存在が大きいからかも。

人付き合いがいいと言うのも原因かも。
アルバロという名で、赤ちゃんの時から「あーちゃん」と呼んでいました。
そのため自分のことをあーちゃんと言っていました。

幼稚園に入る前日、長男が「アルバロ、ちゃんと自分の名前をアルバロって言うんだよ。あーちゃんなんて言ったら、中国人だと思っていじめられるからな」とアドバイスしていました。
その時、長男は4歳。
ちょっと泣けてきました。

それでも、私は言います。
スペインに、差別はありません。



by cazorla | 2019-02-06 04:37 | スペイン 文化 言葉 | Trackback | Comments(8)

相変わらず高血圧です。

今日は、バロック美術のおすすめ。
先日、ってずっと前ですが、マドリードのティッセン美術館に行って来ました。
ティッセンって、ドイツの貴族ティッセンさんです。
こちらの記事で紹介したスペイン女性ティタと結婚したため、コレクションはスペインに。

ここには主として印象派や新しい作品が多いのですが、
バロック美術もたくさんあります。
マルタ島にも作品があるバロック好きには有名なカラバッジョの修復風景のビデオなども見られます。

バロックって古臭い!と思っていたんですが、最近音楽はもちろんバロックくらい現代にマッチするものってないんじゃないか。
美術に関しても、ダリを彷彿とする作品がたくさんあります。
力量ではダリ以上と言えるかも。
だってあの時代は他にすることがなくて、ただ絵を描いていたのですから。

果物かごの絵。
向きかけのりんごが端に置いてあるのだけど、それが今にも落ちそう。
その落ちてない瞬間を描いている。
バロックの時代は美術にしろ、音楽にしろ、工芸品に近い感覚があったはず。
それにもかかわらずそこにあるのはアート。
それってすごいことじゃないでしょうか。

特別、他の違うことをしようとして、個性的であろうとしたわけではなくても出て来る個性。
これはものすごい個性です。

e0061699_00273972.jpg


ヘンドリック・テル・ブルッヘン(オランダ)の作品。1本のロウソクの光に映し出される3人の顔。
イサクの双子の息子、エサウとヤコブです。
聖書をちゃんと読めばきっともっと楽しめるのでしょうね。

プラド美術館の道を通ってたどり着くティッセン美術館の様子は下のビデオで。



住所:Paseodel Prado, 828014
公式サイト:https://www.museothyssen.org/
最寄駅:Banco de España (L2)

アトーチャ駅からも歩けます。

by cazorla | 2019-02-05 00:43 | スペイン 文化 言葉 | Trackback | Comments(0)

スペインにはメルカドーナ(Mercadona)というスーパーマーケットがあります。
市場(mercado)と聖母(madonna)をミックスしたような命名です。

私の感覚でいうと田舎の人と外国人が好きなスーパーマーケットというイメージ。
マドリードに住んでいたのがすでに15年も前なので、もしかしたら今ではマドリードでも人気なのかも。
それでも思うんですよね。マドリードは外国人と田舎の人が増えたから人気なだけで、昔ながらのマドリレーニョは相変わらずアオラマスに行ってるに違いないと。

なぜ、私がメルカドーナを嫌いか。

まず、どこに行ってもメルカドーナってほぼ同じなんです。店員教育がきちんとしているのか、おしゃべりがない。
つまんない。
カードで購入すると、各支店ではなく、受け入れ先は本店のバレンシア。絶対的中央集権。
メルカドーナマークのものしか売ってない。ホワイトマークとか言って有名メーカーが作っているけど、メルカドーナのマークにしてるから同じものがずいぶん安いんだという触れ込みだけど、私はそれぞれ好みのものを買いたい。
切った人参が売っている。
人参を切って袋に入れて売っているなんて倫理がないと思う。

そんなものを売ってるくせに、エコロジーということで袋を有料にして、何度も使いましょうという。
基本、スーパーマーケットなんてエコロジーと反対のところにあるのだから、エコロジーなんて言って欲しくない。
袋を有料化して袋を利用する人が減ったか?
袋を捨てることが減ったか?
っていうと全く効果はないと思う。
何となく慣れてくるんです、人は。2センチモ程度なら払いましょってことになって昔と変わらない。
それより問題は、出来合いの食料品、冷凍食品、袋菓子など、ゴミがたんまり出るアンチ・エコロジーな食材を売らないことにすれば?と思うのです。
そうじゃなきゃ、エコロジーなんて言って欲しくない。
そういうのを偽善者って言うんじゃなかったでしょうか。

スーパーのプラスチックのお皿にのった肉類はだいたい薬で変色しないように処理されているし。
少なくとも日本の場合は、スーパーは小売店より安い。
でもメルカドーナは、そんな薬漬けにした肉類を小売店より高く売ってる。

そう言うことで私はメルカドーナが嫌いです。
エコロジーと言って、原子力発電所をさっさか閉じた人たちと同様、偽善者だと思う。
スペインはフランスよりはるかに高い電気を使って生活している。
年金暮らしのおじいちゃんが寒いからちょっとだけ暖かくしたら月600ユーロ(1ユーロは130円くらい)になったよって悲しんでた。
それは2年前。
その頃よりさらに値段は上がってます。

移民はかわいそうと言ってどんどんスペインに入れましょうって言った人たちが住む場所には外国人なんていない。
お手伝いさんもスペイン人で、平和な街は昔とちっとも変わらない生活をしている。

そうです。
私が嫌いなのは、偽善者。

e0061699_00254055.jpg



by cazorla | 2019-01-31 00:25 | スペイン 文化 言葉 | Trackback | Comments(2)

スペインでの多くの誤解

日本の外務省の人って立派です。
世界中のほとんどの外務省の人は外国で仕事をするにしても英語とフランス語のみというのが一般的。
ところが日本の外務省の人はきちんと現地の言葉を勉強します。(おかげでうちの夫も日本で仕事があったわけですが)
それは日本という国がとても特殊な文化を持っており、外国のことを理解するために言葉からのアプローチが近道だと判断しているからだそうです。
大使として赴任する場合は、奥様もちゃんと個人レッスンを受けて出発します。

スペインの場合、都市部であれば英語だけでも大丈夫かもしれません。
最近は観光地では中国語も普通に話す人が増えてきました。(中国人は良いお客様です)
それでも長期滞在をするなら、やはりスペイン語は多少できた方がいいかもしれません。

最近はワーキングホリデイでスペインに来る人も増えてきてツイッターでスペインのことを呟いています。

一番うんざりするのは

「スペインの洗濯機はー」
というやつ。

スペインの洗濯機はプログラムが28種類あります。これはうちのですがもっと上等の洗濯機ならもっとかもしれません。一般的に20〜30というところでしょう。
そして温度調節が、常温から35度、40度、50度、60度くらいまで小刻みにあり、90度を選べるのはどれでもかはわかりませんが、これも大丈夫。
90度は丈夫な白いシーツなどでしょう。

手洗いモードというのもあって基本絹でも洗濯機で洗えます。

ところが多くの日本人はよくわからず、洗濯します。
そして「スペインの洗濯機は衣服が縮む」というようなつぶやきをするわけです。

説明書はたいていの賃貸の家では大家さんがちゃんとわかる場所においてくれているはずです。
もしなかったら大家さんに頼めば見せてくれるし、大家さん自身が説明してくれます。
シェアメイトでも教えてくれるでしょう。

家電製品はたいていの場合、ヨーロッパ各地で共通に売られているため、説明書は分厚く各言語で書かれています。ロシア語まであります。
稀に日本語もありますが、稀です。
それでも英語の説明があるので理解できるはず。
英語が苦手な私もわかる程度の英語です。
スペイン語よりわかりやすいというか、説明がシンプルなので私は大体英語の説明書を読みます。
実は夫も説明書は英語です。修飾語が少なくて良いらしい。



ずいぶん前にやはりワーホリで住んでいる人がピソ(マンション)をシェアしているんですが、シェアメイトがいつも出かけないのかと聞くとうんざりしていました。家に自分だけ残ることが不愉快なんだろうかと、不快に思っているようです。

しかし、彼らはそういうことを言っているのではありません。
20代の男性が女なしに何ヶ月も生活するというのが信じられないのです。(大丈夫かな、こいつ)
と実は心配しているのです。
もちろん、うざい。
でもそれぞれの価値観は変えられない。
スペインの男性なら、週末は彼女と、またはその日の気分の相手と楽しむのが普通だから。

まあ、どちらにしろ、少しだけコミュニケーションをとった方がいいのではないかと思います。

うちの娘が夏休みに2ヶ月間コルドバのおみやげ屋さんで働いていました。
日本人とも話せるとすごく楽しみにしていたのです。
アメリカ人はニューヨークのオーケストラについて話しました。
ドイツ人はもちろんワグナーについてしっかり1時間おしゃべりをしました。
イタリア人は別荘に招待してくれました。
それぞれがいろんな話をしてくれる中、日本人だけ無言で入ってきて無言で出て行きました。

ちょっと寂しい。

旅行ってもっと違うものじゃないですか?
そこに行って風景を見て写真を撮っておみやげ買うだけ?
それじゃあつまらないよ。

結局多くの誤解は、黙って胸に仕舞い込むことから始まります。
変だと思ったらどんどんいろんな人に話してみようよ。

e0061699_23004768.jpg



by cazorla | 2019-01-29 23:01 | スペイン 文化 言葉 | Trackback | Comments(4)


スペインもワーキングホリデーとか色々始まっていろんな日本人が滞在してます。
で、ちょこっとだけスペイン語ができると、とんでもない誤解しちゃうんだなってこのツイートで思いました。

「スペインでびっくりしたことが、トイレットペーパーをトイレに流しちゃいけないこと」
ってツイートがあって、なんで?そんなことあるん?

だって臭くなるやん。

ほらおっきー方だと、臭いやん。

と思ってそんなん見たことないけど、どこで?
と聞いたらツイートで写真送ってくれました。

NO TIREN PAPELES AL WC.UTILICEN LA PAPELERA.

どこのトイレにも、多分世界中のトイレに貼ってあります。
日本でも「備え付けの紙以外流さないでください」

スペイン語だと紙類をトイレに捨てないでゴミ箱に入れてください。

トイレットペーパーならPapel higiénico。
たくさんあっても単数です。紙は数えられない名詞だから。
わざわざ複数にしているのは、いろんな紙があって、ゴミだから丸めているような紙がほとんどで、そういうあらゆる紙とかティシュとか、
簡単に言えば備え付けの紙以外の紙なんですが。

基本的に備え付け以外の紙ってわざわざ言わなくても、トイレットペーパーは流すに決まっているからそういう断り書きがないんです。

まあ、こうやって世界の誤解が起きるのかもしれないけど、
中国人の友人たちとアラブ系の友達に聞いたらそんな誤解する人がいるのかとびっくりしてた。

基本的に彼らはわざわざトイレの張り紙なんぞ読まないし、いつもどおりに生活することに徹底しているからですが。
やっぱり変だなと思ったら、周りにいる人に聞いてみた方が良いんじゃないかなと思います。
そんなに人間って、違う生活はしてないはずだから。
そして、疑うことが大事です。
ちょっとだけ疑ってみよう。

e0061699_22232603.jpg
ちょっと昔の写真を貼ってみました。
明日で娘が23歳になるから。

by cazorla | 2019-01-10 22:24 | スペイン 文化 言葉 | Trackback | Comments(6)

土曜日に我が家の近く、サンタマリア教会廃墟でサルスエラのコンサートがあった。
サルスエラは、簡単に言えば、スペインのオペラ。
でも今回は簡単に主な作品の歌だけをピックアップしたもの。
ラ・マンチャのオーケストラはコンプレートだったけど、歌手は3人だけで、主な歌を歌うコンサート。

私でも知っている歌がいくつもあって、だからスペイン人にとっては熟知の歌ばかり。

文化というのは、こういう風に庶民レベルのものであるべきなんだなと思った。
オーケストラも、実はこうあるべきなんじゃないかと。
フルートもチェロも、庶民の心にメロディーを伝える。
それが文化。

詩もそうだよね。
詩なんてわかる奴にわかればいいと、別世界に入ってから力がなくなったと思う。
かつて石川啄木の短歌は誰もが口にしていた。
暗記して何度も。

サマセット・モームの短編で、愛人と一緒に夫殺しをする話がある。
夫を殺した後で、酔っ払いが数人やってくる。
顔を見られたくないから、二人は固く抱き合って顔を隠す。
すると酔っ払いたちは、ヴェルディ作リゴレットのLa Donna È Mobile を歌う。
恋人を囃し立てる歌が歌曲だという。
オペラが庶民レベルだった頃の話。

だから
サルスエラのあるスペインはまだまだ可能性があるのかなと考えた次第。
可能性?
なんの?

文化がもう一度息を吹き返し戻ってくることの。



スペインのコンセルバトリーで歌を習うのもいいかもしれませんよ。


by cazorla | 2018-06-19 07:18 | スペイン 文化 言葉 | Trackback | Comments(0)

スペイン城シリーズ第6回が公開されました。

コルドバから近いアルモドバル・デ・リオにあるお城。
以前、ブログでも紹介したんですが、今回はクリスマスの時期に行ったのでちょっと飾りなどもあります。




トリップクリップというページに書かせてもらってるんですが、その中で「スペインの城シリーズ」というのを自分で勝手に企画してやっています。

結構マニアックな旅行になると思うので、ほぼ、見にくる人はいませんが、それでも「城」ってスペインらしいものの一つだと思うので、紹介してまとめていければいいなと思っています。アンダルシアは特に城が多く、その城もイスラム勢力が作ってその後スペイン、というかキリスト勢力のものになったりして、様式もミックスされているのが特徴です。

現在は主にアンダルシア、そして私の住んでいるハエン県が中心になりますが、よかったら見てください。
これからアップするたびにここにプラスして行く予定にしています。

第一回:カソルラ(ハエン)私が住んでるカソルラです。


第二回:ニエブラ(ウエルバ)
処刑博物館にもなっています。アンダルシアのウエルバ、セビージャから比較的簡単にいけます。

第三回:バニョス・デ・ラ・エンシーナ(ハエン)
ヨーロッパで2番目に古い城です。

スペインの城シリーズ第4回が公開されましたので、よかったら記事を見てください





多分ほとんど知られていないハエン県アルカウデテ。コルドバかグラナダからバスで行けます。コルドバから近いところにあります。




by cazorla | 2018-01-12 21:12 | スペイン 文化 言葉 | Trackback | Comments(13)

日頃から思ってることなんだけど、日本って認知症がすごく多いような気がする。
この間、高層マンションの問題についての新聞記事(日本の)を読んだんだけど、
高層マンションが流行っていたのは(今もかもしれませんが)2000年ごろ。
20年経って、住んでる人が高齢化し、自分の家がわからず、うろうろしていると言う。
もちろん、どの階も似たようなものだけど。
それでも、一体幾つの人たちが迷うんだろうと。

70歳くらいで徘徊したり、痴呆になったり。
もちろん、アルツハイマーという場合もある。
スペインもそこそこアルツハイマーの人がいます。
ご近所さんのお母さんは65歳にアルツハイマーになって20年。
アルツハイマー協会というのもあって、たまにバザーなどもやっているのでアルツハイマー協会の人たちとの交流もあります。
でも、それにしても、認知症の人を介護してという話はあまり聞かない。

で、ふと昨日、思ったのだけど、
というのは、私は脳腫瘍が11年前に見つかって、処置をした。
それまで、頭痛で吐いたりしていたんだけど、そういうのも治った。
脳腫瘍のオペの前は、ちょっと暗い気持ちになっていたんだけど、一言、
「実は私、脳腫瘍があって。」
などというと、出てくる出てくる、脳腫瘍患者。

私の行きつけの歯医者さんが、カリフォルニア大学で勉強した人なんだけど、彼のお母さんも脳腫瘍。
そういう関係で、世界ナンバー5の脳外科医のうちの一人を紹介してもらって、安心のオペでした。
で、その頃、脳腫瘍の治療をしたのが、ご近所に一人、娘の通ってる中学の先生に一人いて、
脳腫瘍仲間ができた。
全く同じ年に脳腫瘍。

あら、脳腫瘍ってそんなに特殊な病気じゃなかったんだわ、とびっくりした。
その後、三人で再検査や状況などを分かち合った。

実は脳腫瘍持ってる人って多いんです。
今は電波が飛び交ってるし、
電話を使うことも多い、
見えない磁気が頭の周りにあるのだから、
脳腫瘍くらいできても不思議ではない。

でも、日本は検査にお金がかかるから、あえて脳腫瘍検査をしない。
で、65歳くらいでふと自分の家がどこかわからなくなる。
なんてこともありかな、とふと思ったの。

頭痛、吐き気、不眠、物忘れ、怒りやすさ、残酷性、憎しみ、集中力のなさ、異常な集中力などなど。
耳鳴り、虫のようなものが見える、失語症など。

脳腫瘍の簡単な自分でできる見つけ方

目を閉じて右手と左手の人差し指の先をタッチさせる。
目を閉じて片足で立ってしばらくじっとしている。

この二つ、どちらかができなかったら、脳腫瘍があるかもしれません。

スペインは検査が無料なので、あっちこっちに脳腫瘍患者を見つけられるのだと思う。
脳腫瘍を見つけていれば、認知症と思われる症状の人も減るのでは?とふと思った。

e0061699_08082984.jpg

ツイートを読んでいて、脳腫瘍だけど人に言えない、というのがあった。
あ、そうか、日本って脳腫瘍ですも言えないんだな、と。
それもあってこの記事を書きました。
普通に自分の問題を話せる社会が、健全なんじゃないかなとふと思ったので。

by cazorla | 2017-11-04 08:40 | スペイン 文化 言葉 | Trackback | Comments(2)

マリアはなかなか難しい子どもだった。
頑固だし、体がとにかく丈夫だから、外出してもずっと歩いてた。
7ヶ月くらいから歩いていたけど10ヶ月ではほぼバギーを使わない状態。
とにかく歩く。
そのくせ小さくて、10キロないくらい。
ちなみに歯が生えるのも遅く、10キロで歯がないとまるで3ヶ月程度の赤ちゃんに見えた。
それでも歩く歩く。
そして疲れても、バギーに乗らず、抱っこもされず、「独立」宣言をしていた。

そのくせ、やっぱり疲れているから、機嫌が悪くなって泣き出す。
そういう自分を制御できず、どうしていいのかわからなかったのだろう。

ハーフの子どもは、基本的に丈夫にできているから声もでかい。
だから、泣くとかなり他人の迷惑になる。
夫がよくあやしていた。

例えば、ライターを襟元から入れて、ワンピースの下から落とす。
冷たいライターが目の前から消えて、お腹に冷たい感触を残しながらスカートの下に落ちてまた現れる。
それが不思議で面白くてマリアはケラケラ笑う。

笑いというのは、驚きのあとの安堵の呼吸だと思う。
驚いて、息を止める。
そのあと、安心して空気が体から出て、一息つくのが笑い。
そのとき、声が伴われる。
それが笑い。

マリアがケタケタ笑うと、青年たちが言った。
「外人の子どもってよく笑うよな。」

外人の子どもはよく笑うのか?
笑いというのは遺伝子に組み込まれているのか。
いやー、そんなことはない。

スペインには中国の子どもを養子にしている人がたくさんいる。
彼女たちはやっぱりどこかスペイン人だ。
座り方、笑い方、目線のやり方。
生活の中で受け継いで行くもの。

そして、笑い。

笑いは驚きで止めた息がリラックスして抜けた瞬間と書いた。
そういう意味では、「これは冗談ですが」と言った後に言う冗談には笑いはない。
驚きがないもの。
それが笑いである日本では、子どもは笑えないだろう。
笑いが何か理解していなければ、ちいさな子どもを笑わせるのは困難。

ずいぶん昔に書いたのだけど、マリアがアトピー検査をした時、
採血するためにぐるぐる巻きに縛り上げられていたこと。
いくつかのメッセージに、危ないからそれは妥当な処置と書かれていた。
しかし、WHOでは、子どもをいかなる理由があるにせよ、縛り上げてはいけないと言う。

動いたら危ないでしょっ、と怒りの声が聞こえてくる。

末っ子のアルバロはスペインで生まれた。
41歳のときに生まれたのでそこそこ問題があった。
肝臓にちょっと問題があると言う。
それは私の問題で、血液に濁りがある。
本人の問題かどうか、しばらく血液検査をしましょうと言う。

まだ、生まれたばかり。
1ヶ月にもなっていなかった。
採血をするのに二人の看護婦さん。
一人が笑わせる係。
笑っているからそちらに集中している、
その瞬間を捉えてチクリと採血をする。

一瞬泣く。

すぐに笑う。

ああ、なんてプロなんだろうと思った。

「笑い」はプロのお仕事。
ガイジンの子どもがよく笑うのではなく、外人である夫がよく笑わせるのだ。
それはなかなかの労働だと思う。
気持ちに余裕がなくてはなかなかできない。

だから、私も頑張った。
一人でバスや電車に乗らなければならないとき、とにかく笑わせる。
夫のようにできない。
いくら「ガイジンの子ども」とはいえ、私と一緒のときは「日本人の子ども」になるのか?

いやいや、単に笑わせるのが下手な日本人母なのです。
それでもかなり努力して、まあ、夫ほどではないがそれなりに及第点はとったと思う。

世の中にはいろいろな固定観念がある。
少し、立ち止まって可能性を考えてみよう。
世界中の子どもを笑顔にするために。

e0061699_22353504.jpg





by cazorla | 2017-11-02 22:35 | スペイン 文化 言葉 | Trackback | Comments(2)