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親も歳をとっていく|つい忘れがちだけど

母のビザについての問い合わせがたまにある。
やはり日本を遠く離れて母親のことが心配な人も多いのだろう。
結婚する時代は親というのは永遠にそこにいて守ってくれる存在だった。
ある日、ふと気づくのだ。
親も歳を取ると。
うちの子供たちもきっと私がずっと元気だと思ってる。
実は私自身もそう思ってる。
でもいつか歳を取る。
もしかしたら突然わけがわからないくなるという可能性だってある。
認知症になった人は60代なんてザラだ。
ご近所さんのお母さんは65歳でアルツハイマーになって25年間お世話をしていた。
実家がうちの近所なのだが、新興住宅地に家を買っていたのでそこからお母さんを連れて毎日実家に通っていた。
そこにはいろんな思い出の品がある。そこで毎日2時間程度過ごして、そして帰る。
そういうことがアルツハイマーの症状を進行させないために役立っていたのだろう。
そういう人を見ると、私はちゃんと母の介護をしてなかったような後悔に似た気持ちが湧いてくる。

母はよく認知症になった作家の話をしていた。
彼女の記憶では国木田独歩だったが、先日調べてみると国木田独歩は30代で亡くなっている。
それで調べたらどうやら丹波文雄のことらしい。
世話をしている娘の方が60代で死んでしまったと母は何度も話していた
だからなのか、私が60になる前に亡くなった。
ボケる前に死にたいのよ、ともよく言っていた。

コロナが広まってなかなか会いに行けないことも影響して母親を呼び寄せようと思う人も多いのかもしれない。
父親が亡くなって、1人で生活している母親。
そういう人は多いのだろう。
活動的なお母さんだと、日本での生活にきっと未練があるだろうけど。
母も「日本にいたら」とたまに愚痴をこぼしていた。
78歳の母はまだ魅力的だったから、日本で恋愛のようなことがあったかもしれない。

そういう可能性を潰したかなって罪悪感もある。
でも、それでもやっぱり一緒にいてよかった思う。
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# by cazorla | 2021-10-30 08:30 | 母のこと | Comments(0)

父の隠し子事件

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世の中には詐欺をする人たちがいる。
大昔、森繁久彌氏が主役で赤サギというテレビドラマがあった。
結婚詐欺の話で、夢を売る仕事だと主役が言う。
それに近いのが最近流行っているロマンス詐欺。
先日72歳の人が逮捕されていた。
外科医とかになりすましてネット上で知り合った女性から合計1億円だまし取ったというニュースだった。
会ったこともない人に100万単位のお金を渡すほど気持ちの良いチャットでの会話ができるのは、21世紀のシラノドベルジュラックと言ってもいいかも。
小説家になったら成功したかも。

本気で騙されるわけではないけど、寂しい時はなんとなく騙される方向に気持ちが行ってしまうのかもしれない。
先日 この記事で書いたようにうちの両親も私がスペインに移住して寂しい思いをしていた時期に詐欺師のようなよく分からない事件に巻き込まれた。

父の隠し子と称する女性が現れたのだ。
私より20歳近く年上の女性だった。
私が生まれたのは父が37歳の時。
ってことは17歳。

電話がかかってきて母が話した。
「お金とか認知とかそう言う要求はしません。ただお父さんと呼んでみたいのです」と彼女は言ったそうだ。
母はとても気の毒に思って、お父さんって呼びたいだけならいいじゃないかと。
全く母は能天気なのだ。
そして食事をしに両親のいる家にやってきた。
父はそんな覚えないしと言ったんだけど(当たり前だ)、母は単純な人だから(純真とも言う)60歳になるまで父親を探してた可哀想な人を助けてあげたいと思ったようだ。
普通じゃ考えられないと思う。なんか書いててうちの母はバカなんじゃないかと思われるかもと、ちょっと今困ってます。
母は基本的に周りの価値観に左右されない強い意志を持っている人で、けっしてばかではないの。ただ、人の悪意があまりわかってない。

一緒に食事をしたって言う事実を証拠として裁判ということになった。
認知をしてほしいと。
裁判所に行って「そういう覚えはない」といっても食事をしたという事実で裁判官は女性の味方。
反対にお説教されてしまった。

私が2年振りに帰省した時は、二人とも信じられないくらい(特に母が)歳をとっていて驚いた。
多分父の状態が悪くなったのも70を過ぎて裁判所に何度も行かなくてはいけなかったことが原因だったかも。

母はやっぱり寂しかったのだ。
娘という60歳の女性が時々遊びにきて一緒にご飯を食べたり、お話をしたりしたら楽しいような気がしたと後で言っていた。
世の中に悪い人がいるっていうことをあまりよく分からないまま年をとったのかもしれない。

そして一人娘がずっと遠くになってしまって寂しかったんだろうね。
だからコロナで帰国できない状態になっている人たちのご両親が心配。
うちの母みたいに何にも分からないまま年をとってしまう人は少ないと思うけど。





# by cazorla | 2021-10-26 08:15 | 思い出 | Comments(0)

母のいない時代

末っ子は我が村カソルラから約100kmのところに住んで大学に行っている。
地元の大学を選んだのは、経済的な問題もあるがやはり就職率の高さと住みやすい街ということ、そして未だに地元のサッカーチームのメンバーだからだ。
そういうわけで、サッカーのシーズンが始まると週末は試合のために帰ってくる。
金曜日の練習と土曜日か日曜日の試合。

今週は長女も帰省している。フルートのお手入れのためにルティエに会いに来た。
金曜日から木曜日まで1週間滞在。
クリスマス以来帰省していなかったということもある。

だから久しぶりに土曜日は4人で食事をした。
夜は、娘と末っ子と3人でおしゃべりをした。
日曜日はルティエに会いに行った。
私も行こうと思っていたら、ちょっとした用事ができて行かなかった。用事はすぐに終わったのでのんびりと過ごす。
こんな時、昔だったら母に会いに行ってたなと思った。

土曜日は賑やかだったから日曜日、誰もいない家で寂しいと思ったのではない。
母に会いたくて寂しいと感じた。

まだ子供達が小さかった頃に夫が子供たちと一緒にマドリードにサッカーを見に行った。
あの日母は我が家に来て、一緒に『黒蜥蜴』を見た。
もちろん毎日会ってるのだけれど、その日はなんとなくイベント性が会った。
なんとなく。
もっとイベント的なこと
何かをしておけばよかった。
何か

日曜日、末っ子は大学のある街へ帰った。
娘はここにいる。
それでも、私は私の子供部屋を思い出す。

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スペイン生活21年だけど、実のところ13年は母と一緒に居たんだなと。
だからストレスもなく、楽に生きてこれた。
3年前に12年ぶりに帰国するほど、全く帰国もせずに過ごせたのも結局は母がそばにいたから。




# by cazorla | 2021-10-25 07:05 | 母のこと | Comments(0)

さらに遠くなってしまった日本

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スペインに移住したばかりの時、日本には両親がいた。
両親がどんなに遠くでもいるということは、私を元気にしてくれた。
母は毎月2回くらい小包を送ってくれた。
メインは本で、子供用の絵本や私の雑誌と新刊。村上春樹と吉本ばなな。
吉本ばななはスペインで読むとすごく面白いということを発見した。たまたま移住前に古本屋で見つけた吉本ばななが面白くて、母に伝えたら本が出るたびに送ってくれるようになった。
そして「ねーね」という雑誌。

中にある券を集めると可愛いバッグがもらえるとかいう企画の時は母がその券をちゃんと切ってバッグも一緒に送ってくれていた。
スペインに来ても毎年帰国しようと思っていたのに、すぐに3人目を妊娠。
末っ子を連れて里帰りした時はすっかり2人とも歳をとっていて驚いた。
子供と一緒に写真を撮るのに、アルバロとの写真は撮らなかった。
そのくらい歳をとっていた。
その原因になったちょっと驚くべき事件はまたの機会に。話し出すととにかく長くなりそうなので。

その時父は79歳、母は75歳だった。
こうやって数字を見れば高齢者だったんだってわかるけど。
でも親はずっと私を守ってくれる存在だと疑ったことがなかった。

滞在が終わってタクシーに乗る前に挨拶したら父がニコニコして「またおいで」と言った。
そしてそのあと母に「これが最後かもしれないね」と言ったそう。
それで母は激情して、私に何度も電話をかけてくる。
「最後じゃないよね。またくるよね」と。
でも父は分かっていたのだろうね。
父にとって最後だったということを。
私はちーっとも父に優しい良い娘ではなかったけれど。

これが最後という時、なぜかわかるのかもしれない。
日本は今の私にはとてもとても遠い国だ。
私の子供部屋はもうそこにはないのだ。



ブログテーマ:移住・地方暮らし
# by cazorla | 2021-10-24 07:02 | 思い出 | Comments(0)

あなたに会いたくて・・・・


by cazorla