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1990年にスペインを3ヶ月かけて歩き回りました。
サルスエラ(スペインオペラ)の舞台を初めて見たのもこのとき。
当時はまだ、ピカソのゲルニカがプラド美術館の別館にあり、絨毯を敷いた特別室で鑑賞できました。
多くの人が絨毯の上に寝そべってのんびりと楽しんでいました。

1981年にニューヨークからスペインに戻されたばかりの時代です。

ピカソが死に、もうすぐバルセロナオリンピックが始まるそんな時代。
人々は素朴で、静か。
年をとった人が、(たとえ裕福であっても)小さな携帯ラジオでサッカーの試合を楽しむことが唯一の娯楽だったような時代。

ほぼ、全くスペイン語を話さない、勉強していない時代でした。
ホテルの探し方や道の聞き方程度を1週間で頭に詰め込んで拙いスペイン語で旅をしました。
だからしょっちゅう怒鳴るように「グァッパ」と叫ばれると、ちょっと怖かったのです。
グァッパの意味がわかりませんでした。

ある日は5人くらいの老人たちがスリスリと近寄ってきて、怖い顔でじっと見て全員でグァッパと言って去っていきます。
子供達も自転車で追いかけてきて「グァッパ」と言って、走り去っていきます。

疲れているときは、ちょっと悲しい気持ちになりました。

アンダルシアのロンダというまちでアントニオという日本語を勉強しているという男の子に出会いました。
大学ではタイの文化を勉強し、タイ語が専門だそうですが、日本語も話せます。
実はまだ勉強し始めて、6ヶ月とのことでしたが、すでに数カ国語を学んでいるせいかかなりのレベルでした。

彼にしょっちゅう「グァッパ」っていわれるんだけどどういう意味なのか聞きました。
すると彼の答えは「美人ってことだよ。」
すぐには信じられませんでした。
きっとスペインのことを嫌いにならないで欲しいからそんな嘘をついてるんじゃないかと勘ぐりました。

彼の家や彼のいとこの家などに連れて行ってもらいました。
すると子供達が近寄ってきて、「グァッパ」と口々に叫びます。

「みんながあんまり綺麗なんでびっくりしてるんだよ」とアントニオ。

言葉がわからないと、被害者意識の陥ってしまうのです。
本当はみんなとても好意的なもの。

最近、よくツイッターでスペインで差別なんて書いてる人がいますが、単に美人のあなたと話したいだけかも。

ちなみに私は決して美人ではありません。
ただ、当時は若く、日本人も少なかったこと、そして黒髪が真っ直ぐだったことでグァッパと呼ばれていたのでしょう。

一度、おじいさんに真っ直ぐの黒髪を見てるだけで意識が朦朧とするくらい感動するんだというようなことを言って、失神するふりをされました。

日本人の女の子って「信じられないくらい」綺麗だと思われるようですよ。



この記事に張っている写真の7年前だから、やっぱり可愛かったんだなと自分で思う。
基本的に多くの人はあんまり自分を可愛いなんて思わずに過ごしてしまいますよね。勿体無い。
コンプレックスの塊でした。

スペインを旅していた時の話はこちらに。






# by cazorla | 2019-02-17 07:07 | 思い出 | Trackback | Comments(7)

自分が差別されていると感じてしまうと、とても深い井戸の中に落ち込んでしまう。

どんなにそれは差別じゃないかもしれないと言っても同じこと。

差別って自分の価値観が反映されるものじゃないかな?


最近はこれ。
グッチのセーターが黒人蔑視ということで、話題になりました。
黒人の分厚い唇。
でもね、多くの白人は薄い唇にコンプレックスを持っているんじゃなかったでしょうか。

随分昔に書いた記事ですが、フランス、実存主義時代の歌手、マルセル・ムルージの自叙伝的小説「エンリコ」


解説の中で マルセルは オリエンタルと結婚した西洋人の女は
常に オリエンタルの女に対する コンプレックスに悩み続ける
と 書いています。

ディーネセンも「アフリカの日々」の中でアフリカの女性がつけているアクセサリーがあまりに綺麗で無理やり売ってもらって自分でつけてみたら、自分の醜い肌には全くアクセサリーが映えず、がっかりした経験を書いてます。

差別、差別という人はどこかに白人の方が上という考え方がインプットされてるんじゃないですか?

随分前ですが、エホバの証人が「私たちは中国人だからって差別しないわ。みんな同じ能力を持った人間よ」というのにものすごくムカついたことがあります。
そんなことあえていうこと自体が差別でしょ。


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最後にムルージの曲をどうぞ






# by cazorla | 2019-02-08 21:05 | スペイン 文化 言葉 | Trackback | Comments(5)

差別って本当にあるの?

日本人は特に日本国内で静かに暮らしているから、日本を一歩外に出ると中国人と呼ばれるのが嫌いだ。
いきなり「チノ(チナ)」の路上で叫ばれると不快ですが、だからといってそれが必ずしも差別ということではないと思います。

息子がいじめにあっている時 に、周りのスペイン人は「それは差別じゃないの!」と怒ったが、私は差別として一つのカテゴリーに入れてしまうことに疑いを持った。
確かに息子は「チノ」と呼ばれて殴られた。
しかし、「チノ」とは、それ以外に彼を罵る言葉がないから出て来たこと。
そして本人が一番不快に感じる言葉だから使われていたのだろう。

第一、「醜い」とはいえない。
チビ、痩せ、デブ、のろま、ばか。
あらゆる罵りの言葉がどんなに頑張ってもいえないのだからチノと呼んでしまうのだ。

それに、チノにチノって呼んで何が悪い、と私は言った。
チノは中国人。
私たちは中国人じゃないとあなたは言うかもしれない。
でも私たちは東アジア民族。
ほぼ同じような民族なのだ。
7世紀に多くの中国人、それも文人たちが日本に来た。
そして帰化した。
母の故郷は、大分県の日田市だが、どうやら中国人がその頃にたくさん来ているのではないかと言う。
それは、例えば、亀山公園を日田では「かめやまこうえん」とは読まない。
きざん公園と呼ぶ。

チノと呼ばれて怒るのは、私たちの心の中に中国人に対する差別意識があるからではないですか?

息子のいじめ問題は、高校に入って、身長が伸びたことで自然と消えてしまった。
いじめっ子たちが、へこへこと頭を下げて握手を求めるようになった。
もしも「差別」なんて哲学的な意味合いがあったのなら、背が高くなったことくらいで消えるものではないだろう。

チノと呼ばれて、私以上に傷ついていたと思う。

日本人ならチノやチナと呼ばれても実は大したことじゃないんだと、私は思う。
差別だ、差別だと騒がずに、そう言う人たちはただの不躾な人なのだと思えばいい。

考えてみて。
息子は父親がスペイン人だし、スペイン国籍も持っている。
それでチノと呼ばれるのは辛いと思うよ。

あとね、中国が一人っ子政策をしていた頃、中国で不要とされてしまった女の子たちが養女できてる。
彼女たちはほとんどの場合、赤ちゃんの時に来てるから、家族に大事に育てられ自分が家族の一員だと思ってる。
そんな彼女たちが幼稚園に入った途端に「チナ」と呼ばれる。
それもやっぱり辛いと思うよ。

でもね、言ってる方は対して意味なんか考えてないんだ。
なんとなく口について出る。

娘が赤ちゃん時代、まだ東京に住んでいる時に、「可愛い」と叫んでくる女の子たちがたくさんいた。
娘は恐怖で、人嫌いになったし、コンプレックスを持った。
他の違う顔であることに。
可愛いって褒めてるんだからいいじゃんと思う人もいっぱいいる。
確かにチノよりマシかもしれない。
ただ、ここで共通なのは、言われる相手の人格を全く気にしてないと言うこと。

誰かが、スペイン人に「ドイツ人」って言ってもなんだって感じだろうけど
「モロッコ人」って言ったら不快に感じるんじゃないかなって書いてたけど
それはやっぱり違うと思う。
民族ってことがわかってない。
ドイツ人はゲルマン民族だし、モロッコ人はアラブ系。
民族が違う。
それはやっぱりちょっと違う。
違うし、そう言った人は少なからず日本の価値観で物を言ってる。
だって、スペインでは、モロッコ人だからって特に差別してない場合もあるし、
反対にドイツ人に対する差別は目を覆いたくなるほどひどいってことを実は日本人は知らない。

差別ってね、少なからずあることは事実。
でもね、なくならせようとしても無理なんじゃないかな?
じゃあ、我慢するのってあなたは訊くかもしれない
いや、我慢んするってことじゃなくて、差別があるってことを受け入れるんだ。
差別はある。ここにもあるしあっちにもあるし、どこにでもある。

そのことを全ての人が知ること。
チノって言ってる子、君がどこか他の地域に旅をすれば、そこにはちょっと気分の悪くなるようなことがあるかもしれないよって
そう言うことを知れば、少しは変わるかも知れない。

差別は空気みたいなもので、いつもそこにあると思う。
でも、差別だ、差別をしちゃいけないって大騒ぎしない。
だって空気みたいなものじゃないか。

チノって言われたら、言われた理由を考えることも大事だと思う。
私たちは知らないうちに人を不快にしていることだってある。
それを息子にも話した。
知らないうちに不快にされて、君のことを不快にしたいだけじゃないのって。

話が続いてどこにもいけない状態になってしまった。
ただ言いたいことは、差別だって大騒ぎしないで、ちょっと立ち止まって見ることも必要だよってこと。
できれば、不快な気分にされたら相手に不快だよって言ってみよう。
もしかしたら気づいてないかもしれない。

ここに1人の人間がいて、魂があることに。

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末っ子です。
末っ子は、ほぼいじめには合っていません。
兄の存在が大きいからかも。

人付き合いがいいと言うのも原因かも。
アルバロという名で、赤ちゃんの時から「あーちゃん」と呼んでいました。
そのため自分のことをあーちゃんと言っていました。

幼稚園に入る前日、長男が「アルバロ、ちゃんと自分の名前をアルバロって言うんだよ。あーちゃんなんて言ったら、中国人だと思っていじめられるからな」とアドバイスしていました。
その時、長男は4歳。
ちょっと泣けてきました。

それでも、私は言います。
スペインに、差別はありません。



# by cazorla | 2019-02-06 04:37 | スペイン 文化 言葉 | Trackback | Comments(8)