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スペインの学校で

先日スペインの子供達はどうして学校が好きなんだろうという長文を書いたんですが 長文なのにたくさんコメント頂いてうれしかったです。
やはり 教育というのは本質的問題なんだなと思います。
ヨーロッパの現在の教育にもっとも影響を与えているのはマリア・モンテッソリーだと思います。
私自身とても尊敬している人です。 「戦争が起きるのは教育が間違っているからだ」という出発点で イタリアのとても貧しい地区で 小さな学校が始まりました。
彼女の理論は まず 知的障害のある子供達に適用されました。
そして 知的な障害があっても 正しい導きがあれば 成長していくことを証明しました。

ですから スペインの学校は 心身に障害のある子供も受け入れます。
それは 親の意思です。 親が普通の子供達といる方が 子供のためと思えば 選べるのです。 一クラス 枠は五人ですが実際には 三クラスに一人くらいです。
専門の先生もいて フォローされます。

今日 学校にお迎えに行ったら(スペインの学校は小学校の間はお迎えに行きます。) 丁度 一年生のクラスの体育の授業でした。 そのクラスにはダウン症の子供がいます。(カソルラは特にカトリック信仰が強いのでダウンとわかっても生むのでマドリッドに比べてダウンが多いと思う。・私見) サッカーをしていたのだけど この年齢なのでまだボールをバスするというのは不可能。 当然ダウンの子のところには行かない。 それでも一緒に走っていた。 授業終了。教師がボールを運ぶように ダウンの子に命じた。 彼は嬉しそうに 運んでいた。 そして おむかえに来た人たちが待つ校門に向かってシュート。 ひとりのおとうさんがボールを取り 「上手だね」と言いながら 彼に返した。 先生も にこにこ笑っていた。 友達も 何人かが手をつかんでにっこり笑い みんなほんわかした雰囲気。
その瞬間 とてもきれいだった。
それはその子だけのためでなく ほかの子みんながそのほんわかしたきれいな空気につつまれた この気持ちよさを忘れないように。 そう言う積み重ねが大事なんだと思う。 
このシステムは難しいと思う。ひとりの生徒が クラスの足手まといになると言う考え方もある。それは先生の考え方 感じ方 どう処していくか。 それで クラスの雰囲気も 障害のある子がクラスの中でどんな形で影響を与えるかも 先生の力量にかかっているのだと思う。

長女が四歳の時 私たちはスペインに引っ越してきたけれど 住んでいたのがマドリッドだったので クラスの半分は外国人だった。 スペイン語が話せない。 娘も当然 全然話せなかった。 しかし ペダゴロゴという言語学の専門家が 五人ずつのクラスで言葉を教えたので 三ヶ月で覚えてしまった。 また どのクラスにもジプシーがひとりいる。 ちょっと前までチャボラと呼ばれる掘っ立て小屋に住んでいたのを 新しい公団住宅をあたえ 学校に通わせる。 十五年前 私の友達は小学校で先生をしていたのだが 毎日ジプシーの子を家まで迎えに行った。
そうまでしなければ ジプシーは学校に行かなかったのだ。 しかし 五年前 私がスペインに来たときにはみんな自分で来ていた。 ここカソルラのジプシーたちも同様だ。 ジプシーの子が お誕生会を開いて パジョ(ジプシー以外のスペイン人)の子を招待したりしている。 そんなこと たぶん十五年前にはなかったはずだ。
先生たちの 少しずつの努力が 少しずつ実っていくのだと信じたい。


付記 大阪の梅田近くの公立小学校で聾唖の子供を受け入れている学校があります。
    友人の子供が通っているのですが とてもうまくいっているそうです。
# by cazorla | 2006-01-11 03:49 | スペイン 文化 言葉 | Trackback | Comments(4)

ピカソとダリ

1927年から1970年の間に サルバドール・ダリはパプロ・ピカソに30通の手紙や電報をおくったそうです。 その中には 絵も同封してある物もありました。 それらの書簡と絵画がフランスで一冊の本になりました。 ピカソは一度も返事を出しませんでした。

しかし 初めて ダリがニューヨークに行ったときも ピカソが飛行機代を払うなど かなり援助をしています。 ただ 市民戦争の時代 ダリが電報で 「あなたは共産主義にもかかわらず ベラスケス以来の偉大なる画家だ」と書いたときはさすがのピカソも激怒したそうです。 

当時の 作家や画家たちで中流階級以上のインテリたちはだいたい 共産党を支持するか どちらも支持しないと言う人が多かった中で フランコを支持していたダリは異色です。 どうどうとお金を儲けたいからと宣言してしまうところも。 

ただ このダリの手紙 半分はカタランで書かれているのですが フランス語の訳がすごくひどいらしいです。 最初にスペイン語訳が出れば良かったのですが ピカソの物はほぼパリに残されているので 残念です。



写真はマン・レイです。

マン・レイが撮るとまた違ってきますよね。
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# by cazorla | 2006-01-07 02:47 | スペイン 文化 言葉 | Trackback | Comments(4)

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今日はナビダ(クリスマス)最後の日 レシ゜ェス・デ・マゴです。 ヘスス・クリスト(イエス・キリスト)が生まれて 東方の三賢人が 香油などの贈り物を持ってやってきたことにちなんで この日にプレゼントが渡されます。 八世紀ごろは ヘススの誕生日も 1月1日だったそうです。
考えてみれば 紀元前・後はキリストが生まれた前と後なのだから 誕生日に一年が始まるという方が論理にあってますよね。
レジェスの日にはロスコン・デ・レジェスというパン生地のドーナツ型のケーキを食べます。

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私のお気に入りのお菓子屋さんはタルシスという古代の都市の名前を取ったお店。壁画もすてきです。
レジェスというのはレイ つまり王の複数形なので お菓子屋さんで冠をもらいます。
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小さな瀬戸物のお人形が入っていて それが当たった人はこの一年ラッキーなのだそうです。
ラ・マンチャ地方(マドリッド周辺)では当たった人が ロスコン代を払います。一年 ラッキーなんだからそのくらい安い物です。
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# by cazorla | 2006-01-06 23:38 | スペイン 文化 言葉 | Trackback | Comments(8)