1990年にスペイン旅行を1人でしたとき、よく「ボンジュール」と声をかけられた。
1990年バルセロナオリンピックのあった年だ。
1975年にフランコが死んで世の中が少しだけ変わりつつあった時代。
スペインの人々は素朴で、海外旅行に行く人も少ない時代。
外国人といえば隣国のフランス人。
日本人がハローと外国人なら誰にでも声をかける感覚に似ている。
だから個人的には「ニーハオ」もそれに近いものだと思っている。
少しだけ、人々の認識が進化してボンジュールだけが外国人じゃないよ。
アジアもある。
で東アジアならニーハオだよね。
それだけだと思う。
というわけで私はニーハオと声をかけられたらニーハオと答え、ボンジュールと言われたらボンジュール、オラならオラ、こんにちはならこんにちは。
主体性がないのだ、多分。
ミランあたりのブティックでもニーハオと挨拶するらしい。
ロンドンでもという声もあった。
それは侮辱と感じる日本人が意外に多いので驚く。
ブティックの人たちは、自国の言葉で声をかけられたら嬉しいと思ってるんだと思う。
中国人は現代では最高のお客様だ。
特にヨーロッパまで遠征できる中国人はそうだ。
中国人がニーハオと挨拶してきたので(空港で)いつものことながらニーハオというと
ペラペラと中国語で話し出した。
どうやら中国人かどうかの確認だった模様。
「ごめん、日本人で中国語わからない」
「なんだ、日本人か。ニーハオと答えたから中国人だと思った。」
「とりあえず挨拶を」
「普通の日本人ならニーハオといえば無視する」
そっか、ニーハオと言って無視すれば日本人というふうに区別できるのだ。
「ごめん、挨拶したら挨拶し返すもんだと思ってたから」
「まあ、いい。日本人でも旅の友だ」
というわけで話したら我が村から40kmのところにある街で中華料理店を経営している人だった。
不思議だよね。空港は我が村から500km以上離れたところにあるのに。
スペイン人のおっさんにニーハオと声をかけられた。
ニーハオと答えた後で、もっと高低にメリハリつけたほうが中国語っぽく聞こえるよ とアドバイスしてあげた。
「二〜ハオ、こんな感じ?」
というわけで10分程度、2人でニーハオを繰り返す。
考えてみれば(考えなくても)私も暇だな。
最終的になかなか良いので、「上手になったね。まるで中国人みたい」というと
おっさんはとても喜んでくれた。
「●〇〇××」
「なに?なんて言ったの?」
また悲しそうになって「やっぱり通じないんだね。中国語勉強してるの。もう2年くらい習ってるんだけど。やっぱり発音が悪い?」
「いや、私、日本人だから、中国語わかんないの」
「日本人は何語で話すの?」
「日本語」
「そっかぁ、じゃあ次は日本語勉強しようっと」
彼らは本当に良い人たちなのだ。