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母は美しい人でした


母が愛読していた新藤兼人氏の「ひとり歩きの朝」。
その中に「母は美しい人でした」という一文がある。

母はだからこの本を、そして筆者をとても好んだ。
「いいわね、こんな本の中でまで美しい人でしたなんて書かれて」

私は本など出版できないので、このブログで書きましょう。
母はとても美しい人でした。
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80歳の時はこんなにきれいだった。

知らないうちに歳を取っていました。
子育てに忙しくて、母が歳を取っていることに気づかなかった。

母が1人でテクテクと歩いて我が家に来たことがある。
キッチンの窓をトントンと叩く、細い痩せた手。

子供たちを連れて夫がレアル・マドリードの試合を見に行った時、母と一緒に「黒蜥蜴」を一緒に見た。

なんかね、永遠に一緒に居られるような気持ちだったんだ。




# by cazorla | 2021-10-04 06:47 | 母のこと | Comments(4)

真夜中の呼び声

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真夜中に「久美子ちゃん」と私の名前を呼ぶ母の声を聞いて目覚めることが多かった。
いつも午前2時か3時。
母の声を聞いて飛び起きた。
母の家に走る。
いつでもすぐに出かけられるようにパジャマは、トレーニングウェアだ。
真夜中、誰もいない街を走る。
母の家に入る。
母は静かに眠っている。

生きてる母を見て安心して帰る。
問題なかった。
生きてた。
苦しくない。
大丈夫。

こんな時に母のベッドに潜り込んで一緒に眠っていたら母は喜んでいたのにと 今は思う。
たぶん
眠る時に寂しかったのだと思う。
夜中に目覚めて(よくトイレに起きていたから)私を呼んだのかもしれない。

夜中に走って行ったのは自己満足以外の何物でもない。
一緒にベッドに潜りたかった。
今だったらそうする。
真夜中に走って行っても母は知らない。
気づかない。

ずいぶん昔は私が家に入るとすぐに目覚めていた。
いつ頃からか、昼間でもよく眠っていて私が入っても気がつかなくなっていた。
入れ歯を外した顔でぐっすりと眠っていた。

今、どこに行けば母の寝顔を見られるだろう。

画像は母が大切にしていた鉢植え。
手前のは画像では4本に見えるけど7本あったので七福神さんと呼んでいた。



# by cazorla | 2021-10-02 02:25 | 母のこと | Comments(2)

マドリードのピザ屋さんで|差別ってなんだろうって思うこと


マドリードで大学院に行き始めた息子。
今までバダホスというエストレマドゥラの比較的ゆったりした場所に住んでいたので緊張の日々だ。
もちろんバダホスは結構ドラッグ中毒者が多い。
息子の卒業祝いの日もドラッグのおっちゃんがやって来てお祝いを言って来たくらい。
それはともかくマドリードはとにかく外国人も多いし、雑多だ。

マドリードのピザ屋さんで|差別ってなんだろうって思うこと_e0061699_05170091.jpeg
友人と一緒にピザを食べているとアフリカ人と思われる人が近づいて来た。
友人はスペイン人のお母さんとフランス人のお父さんの子。
金髪でいかにも白人。
「おい、俺のためにピザ買って来い」とアフリカンは友人に命令する。
「自分で買えよ」と答えると、またしつこく買ってくるように怒鳴る。無視しているといきなり食べていたピザを床に落とす。
次に息子の方に命令しようとした。
ところが息子は、ハーフとはいえ、完璧なアジア系の顔なのでそのままスルーして行ってしまった。

スペインは差別に関する法律がものすごく厳しい。
もし、この友人がアフリカンに「何するんだ!」と怒鳴りでもしたら、差別として訴えられる。
だからほとんどの場合、白人は何もできないし、我慢するしかない。
アフリカンもそれを知っているから好き放題してる人がいる。
(もちろん20年前に住んでいた時は、アフリカの人たちは礼儀正しくきちんとした人ばかり。働き者のイメージが大きいので、アフリカの人の方が面接でも有利だったくらい)

しかし息子は白人ではない。
こうなると問題が複雑になる。どっちがどっちを差別したかという問題。
また中国人社会の勢力も強いから、アジア系には手を出さない。

そういうわけで最初の大学院の日々はちょっと残念な感じになった。
結局はうちの息子のピザを2人で分け合って食べることに。

でも差別問題ってややこしいですよね。



# by cazorla | 2021-09-29 05:18 | スペイン 文化 言葉 | Comments(2)

ニーハオって言われたら

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1990年にスペイン旅行を1人でしたとき、よく「ボンジュール」と声をかけられた。
1990年バルセロナオリンピックのあった年だ。
1975年にフランコが死んで世の中が少しだけ変わりつつあった時代。
スペインの人々は素朴で、海外旅行に行く人も少ない時代。
外国人といえば隣国のフランス人。
日本人がハローと外国人なら誰にでも声をかける感覚に似ている。

だから個人的には「ニーハオ」もそれに近いものだと思っている。
少しだけ、人々の認識が進化してボンジュールだけが外国人じゃないよ。
アジアもある。
で東アジアならニーハオだよね。
それだけだと思う。

というわけで私はニーハオと声をかけられたらニーハオと答え、ボンジュールと言われたらボンジュール、オラならオラ、こんにちはならこんにちは。
主体性がないのだ、多分。

ミランあたりのブティックでもニーハオと挨拶するらしい。
ロンドンでもという声もあった。
それは侮辱と感じる日本人が意外に多いので驚く。
ブティックの人たちは、自国の言葉で声をかけられたら嬉しいと思ってるんだと思う。
中国人は現代では最高のお客様だ。
特にヨーロッパまで遠征できる中国人はそうだ。

中国人がニーハオと挨拶してきたので(空港で)いつものことながらニーハオというと
ペラペラと中国語で話し出した。
どうやら中国人かどうかの確認だった模様。
「ごめん、日本人で中国語わからない」
「なんだ、日本人か。ニーハオと答えたから中国人だと思った。」
「とりあえず挨拶を」
「普通の日本人ならニーハオといえば無視する」

そっか、ニーハオと言って無視すれば日本人というふうに区別できるのだ。
「ごめん、挨拶したら挨拶し返すもんだと思ってたから」
「まあ、いい。日本人でも旅の友だ」
というわけで話したら我が村から40kmのところにある街で中華料理店を経営している人だった。
不思議だよね。空港は我が村から500km以上離れたところにあるのに。

スペイン人のおっさんにニーハオと声をかけられた。
ニーハオと答えた後で、もっと高低にメリハリつけたほうが中国語っぽく聞こえるよ とアドバイスしてあげた。
「二〜ハオ、こんな感じ?」
というわけで10分程度、2人でニーハオを繰り返す。
考えてみれば(考えなくても)私も暇だな。
最終的になかなか良いので、「上手になったね。まるで中国人みたい」というと
おっさんはとても喜んでくれた。
「●〇〇××」
「なに?なんて言ったの?」
また悲しそうになって「やっぱり通じないんだね。中国語勉強してるの。もう2年くらい習ってるんだけど。やっぱり発音が悪い?」
「いや、私、日本人だから、中国語わかんないの」
「日本人は何語で話すの?」
「日本語」
「そっかぁ、じゃあ次は日本語勉強しようっと」

彼らは本当に良い人たちなのだ。

# by cazorla | 2021-09-28 19:30 | 思うこと | Comments(2)

あなたに会いたくて・・・・


by cazorla