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マドリッド滞在中にパスでトレドに行きました。
スペインで旅行する時は バスの方が町の中心まで行くので おすすめです。
電車は 駅がたいてい 町のはずれにあるので ついてから少し歩かなくてはいけません。
それに 旅の途中もバスからちいさな村か゜たくさん見られます。
ただ もしバスの最終目的地ではなく 途中下車したい場合は どこだかよくわからないので 運転手さんに おねがいしといたほうがよいです。 すると すぐに 「ほらそこにいるピンクの服を着たセニョーラが そこで降りるから 彼女が降りる時一緒におりるといいよ」などと 教えてくれます。 
この時の旅で トレドには二回行きました。 一回目は スペインに来てすぐ 当時の恋人M君と
そして 2回目は 最終週に知り合って ホテルをシェアした だいもんちゃんと。 マドリッドからトレドにバスで近づくと 一つの世界 中世の街のような が 出現して感動的です。
ここには アルカサール きれいなカテドラル そして エル・グレコ美術館があります。
少しだけ観光して 食事をし 広場で一休みしていた時 子供達につかまりました。
特に ラケル。 十才のラケルは 質問魔。
「どこから来たの?」
「TOKlO知ってるよ。何人 人が住んでるの?」
「靴のサイズは」
「頭のサイズは」 どうせ私は頭がでかいわよ!
「結婚してるの?」
「どうして結婚してないの」
「いつ結婚するの」
「子供はほしくないの」
「HOLAって日本語でなんていうの」
「こんいちは これでいい? こんいいいちは こんいちいちは こんいちはよね。」
てな わけで 広場の子供達がはしりまわっては ぶつかり ぶつかるたびに「こんいちは」と挨拶する という遊びを始めました。 その間にも 男の子達が来て 木に登るのを手伝ってあげたり M君が 絵を描いてあげて どうやって描くか教えたり そして サッカーを始めて
私は 女の子たちと 「彼とのこれから」について 質問攻め。
日本での一般的な 結婚式のこと などなど。
で 結局 午後から行こうと思っていたエル・グレコ美術館には行けませんでした。

当時の子供達は生き生きしていたな と思う。
もちろん 旅行者の目と住んでいる立場では違うと思う。
でも もっと 人に興味が つまり純粋に好奇心があったと思う。
たいていの街では 子供達は私を見つけると 「ボンジュール」と声をかけてきた。
当時は 外国人→外国語→フランス語 という図式が成り立っていたのだと思う。
日本で全ての外国人がアメリカ人だったように。
「ボンジュール」と フランス語ではない国で 答えるのは恥ずかしかったけど 子供達が きれいな笑顔で 声をかけてくれてるから 私も大きな声で答えた。
「ボンジュール」

かつてのトレドや ほかの 地方都市の子供達は 外国人 特に アジア系にはなれていなかったと思います。 今のほうが 観光客も増えたし 中華料理屋も増えて 外国人はたくさん見る機会があります。でも 外国人や見知らぬ人との 交流の仕方を心得ていた。 昔の子供は能動的だったと言えると思います。
それは受動的な情報が氾濫しすぎて それらをどう処理していいかわからなくなっているのではないかと思います。 だから 今の子供達は 無関心? 
村上春樹が 遠い太鼓の中でもギリシアの子供のほうが ローマの子供よりきらきらした目を持っている というのは そういうことなんだなと。

 十才のラケルも今は26才。 
今も世界中に興味津々で生きているのでしょうか。
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by cazorla | 2006-11-07 02:21 | 思い出 | Trackback | Comments(14)

スペイン貧乏旅行記 ①

1990年 1月から三ヶ月初めてのスペイン旅行をしました。
旅行予算は 飛行機代は別にして20万円。
当時はまだまだスペインは安かったのですが それでも かなりぎりぎりの貧乏旅行でした。 
覚えている範囲で スペイン旅行記をまとめていきたいと思います。

なぜ スペインに行ったかと言うと その時当時の恋人が (オレンジジュースを誘ってくれた人です。 彼と八年つきあっていたので実は私は 元・恋人の数って少ない) 卒業旅行で アメリカに行ってしまうので その間 すごく淋しかった。 私はやわな女でございます。
だからって 一緒にアメリカに行きたいともあまり思わなかったし 留学している友達とか弟に会いに行くのだから たまには一人で行くのもいいだろうと。 それで 私がスペインに行き 10日ほど スペインで一緒に遊ぼうということになりました。
マドリッドで待ち合わせです。
彼は12月から アメリカに行っていたので 1月の再会は一ヶ月ぶり。
マドリッド到着は 十時すぎだったのだけど 七時くらいから 空港で 飛行機の到着のお知らせテーブルががちゃがちゃと文字を変えるのをずっと見ていたそうです。

スペインに行くにあたって 2週間で 頭にスペイン語基礎を詰め込みました。
旅行する時は一応現地のことばを ある程度頭につめこむことにしています。
インドに行った時も もちろんインドはいろんなことばがあるけど とりあえず ヒンズー語を 頭に詰め込んででかけました。
特に 料理の名前なんかは 必須です。
英語のメニューのない所の方が 絶対安くて おいしいから。
それから 値切る時の決まり文句。
ホテルの条件を聞く。
道を訊く。
スペイン語の本専門のお店に行って 一番薄くて 安い本を一冊買いました。
作者はスペイン人。 名前は忘れましたが 旅行用あんちょこではなく 基礎のくせに最初からスペインの習慣は みたいな簡単なエッセイ。 全部で24ページを丸暗記です。
私は基本的に 語学の才能はないほうなのですが スペイン語は それだけで 三ヶ月 かなり色んな人とコミュニケーションがとれたので 自分にあってるのだな とおもいました。
やはり 自分にあう言語ってあるのだと思います。

最初のスペインで一番の印象は 年を取った男性達の元気の良さです。
公園で ちょっと一休みしていると 少し離れた所に列ができます。
一人ずつ 現れては 片膝をたてて なにかまくし立てます。
まだまだ語学力がなかったので 全部は理解できなかったのですが その前に読んでいた典型的なお誘い文句に似ていたので わかりました。
「あなたの国は今 暗いだろう。
だって 太陽のように美しいあなたがここにいるから…」
というようなことを言ったあと お茶などに誘ってくれるのです。
お断りすると 次の人が来ます。
また 作り話してんでしょう と思われてしまいますが 16年前は ほんとにそうだったんです。
それに私もまだちょっとかわいかったし。
日本の女の子がひとりで 旅行しているのもまだ珍しかったのかもしれません。

それから 一度歩いていたら 胸をいきなりさわられました。
私は怒り狂って 殴ろうと思い 追いかけました。
今 考えるとそういうのは危ないのですが 若気のいたりです。
すると しばらくすると おじいさんがどうしたの?と訊いてくるので 訳を話して あの男をおいかけているのだ というと それは大変 と言って 一緒に 走り始めます。
私たちが二人で走っているとまた別のおじいさんが来て・・・
と言う具合にふと気づくと三十人近いおじいさんが一緒に走っています。
あまり 走って 心臓発作でも 起こされても困るので 殴るのはあきらめました。
それで のども渇いたのでみんなでバルに行って 冷たい物を飲みながら少し話したりしました。
おじいさんたち目をきらきらさせて訊いてきます。
「で どうゆーふうにさわったの? こーゆーふうに触ったの?」
こらこら 触るなよ!

というような スペイン旅行に絶対やくにたちそうもないスペイン旅行記をつづっていきたいと思います。 つづく

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おまけです。
バレンシアで会ったフランス人水兵さん。
これも若気のいたりです。 別にハンサムでもなんでもないんだけど わっフランス人海軍♪てだけで 写真撮らせて~ なんて言ってる私。 
でも おいしくて安いレストランも フランス人の水兵さんってよく知ってます。
by cazorla | 2006-11-06 08:40 | 思い出 | Trackback | Comments(24)

たいていの場合 移転してしてその国に住み着いて その国の人と結婚したら その国の人になってしまう。 フランス人と言っても いつフランスにたどり着いたのか。 もともとフランコ人だったからフランスだけど ローマ人だって混じってるかもしれない。 そんな中で ユダヤ人は アメリカで生まれても フランスで生まれても ユダヤ人と言われる。
それは ユダヤ教の強さなのだろうか。
ほんとうに私たちはユダヤ人のこともユダヤ教のことも殆ど知らない。
他の国の習慣をレスペクトしましょう という。
でも 知らないのにレスペクトもへったくれもない。
だからといって 私が勉強しているかというと ノーである。
なかなかどこから知識をつめこめばいいのか 基礎力がない 歴史に弱い ので。
それでも少しずつ。

この間 アラトリステを見に行ったが その中でユダヤ人狩りの場面があった。バルで飲んでる人に役人がいきなり名前を読み上げる。 飲んでる男は突然 短剣を出して 首を切る。

キリスト教とイスラム教は 銀行業を禁止していた。 だれかにお金を貸して 利子を取るというのが禁じられていた。 それがなければ銀行業はなりたたないから当然銀行は存在しない。(実はそんな細かいことが 聖書なりコーランで禁じられているというのが すごいと思った。 もちろん解釈の仕方なのだろうけど。)
しかし ユダヤ教は禁止していない。 だから 金貸し業をする。
~だから 映画の中や文学の中で いじわるな金貸しのおっさんはユダヤ人だったりするのだ。
もちろん それは商売であって 悪いも良いもない。 貸して貰えるのだから感謝感激である。 しかし 返せない場合も 多いだろう。 昔は 事前に調査するのも なかなか難しかっただろうから。
だから イスラム教徒は 武器を買うためにユダヤ人に金を借りる。
当時は ユダヤ人とイスラム教徒のほうがうまくいっていたようです。
というか ユダヤ教徒とカトリック教徒の関係が悪かったのだと思う。
カトリック世界 とくに スペインは ラテンアメリカから持ってくる金があったから ユダヤの銀行業の良いお得意さんはイスラム教であった。 だから それを阻止するために ユダヤ人を 国外追放していた。

なんかこれだけのことですが 歴史を知らない私はなるほど と思い 載せてみました。
もしかして 世の中の常識なのかもしれないけど
こういうことを知るだけでも歴史解釈が もっと簡単になるような気がします。

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ウベダのユダヤ人街。 だいたいアラトリステの頃 17世紀のころの建物。
ユダヤ人の家のマークです。 でも 今は いろんな人が住んでいました。
このマークは 歴史的なものなので このまま修復されています。
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by cazorla | 2006-09-26 08:27 | スペイン 文化 言葉 | Trackback | Comments(28)

習慣の違い

道で会ったご近所の人が いつもより素敵なスーツとかワンピースを着ていたら 
「あら 素敵。 どこに行くの?」と 訊きます。
カソルラの場合 ご近所の奥さん達が着飾っていく所はだいたい決まっています。
病院 メルカディージョ(月曜と土曜に道に市が立ちます。)
髪の毛も三倍くらいのボリュームになって 楽しそうに病院に行きます。

どこへ行くの というのは まあそんなに訊きたいわけでもなく 挨拶みたいなもの。
大阪のもうかりまっか?と同等だと思います。

でも文化が違うとこれが不愉快になる人もいます。
ホームステイのアメリカ人が 一番苦情を言うのがこれです。
出かけようとすると いつも 家のセニョーラ(奥さん)が どこへ行くの と訊いてくる。
プライバシーの侵害である。
よって ほかの家に移りたい。
事務局の人が説明して たいていは その後気にならなくなるのですが。

あと よくスペイン人は相手の話を聞かないと 言われます。
話している途中で割り込んだり すぐに話の流れを自分の方に向ける。
でも スペイン人は話していて相手がただ聞いているだけだと すごく不安になってきます。
ほんとうに自分の話を聞いているのか。
退屈しているのではないか。
少なくとも相づちくらいは 頻繁に入れないと すっごく失礼な感じになるようです。
それに反して スエーデン人は 話している途中で 相づちすらうってはいけないそうです。(夫の大学院時代の教科書 より) だから スエーデン人相手に商売をしようとするスペイン人は相づちをするのをがまんしなくてはいけない。
きっとすごくストレスがたまるだろうな。
by cazorla | 2006-09-24 07:52 | スペイン 文化 言葉 | Trackback | Comments(29)

スペインの城

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Spanish Castlesと言うページ。   http://www.castillosnet.org/spanishcastles/index.html
スペイン語版は知っていたのですが今日英語版もあるのを発見。
スペイン全体の 城 城壁全てのリストと 写真です。
もし スペインのどこかへ行かれる場合 ここに載っている地図の地名のところをクリックするとそこで見られる全ての城がわかります。
城めぐり ちょっとマニアックな旅ができるかも です。

昔 CastlesというPCゲームがあったのですが 好きだった方いらっしゃいますか。
たった十年前のゲームだけど 今とは全然違いますね。
でも 実は 昔のあまり兵隊さんが具体的に動かないゲームが好き。
このキャッスルというゲーム 城を造って 国を大きくしていくのですが 城を造っているところがなかなかかわいくって 安藤光雅の絵本のようで好きでした。
で ときどき 法王がやってきて お金をせびるのです。
王様と 法王の関係。 このゲームの場合はシンプルだけど おもしろい。
私は法王にゴマすりまくって勝つんだけど 夫は 法王なんかに 一文もやりたくないと言って負けてました。 あなた カトリックなんだからお布施をしたほうがいいんじゃないの?
by cazorla | 2006-09-19 07:17 | スペイン 文化 言葉 | Trackback | Comments(12)

ロクロアの戦い

ロクロアの戦いでほぼ スペイン帝国の滅亡への道がはっきりした。
これは プロテスタントの反乱をきっかけに始まった宗教戦争のようなものであるが 実際はドイツ・オランダ オーストリアの権力争いが契機となる。 国どうしの戦いではなく 表面上プロテスタントとカトリック 事実上は 貴族間の戦いであった。 
たどっていくと15から16世紀にかけて スペインの女王フアナ・ラ・ロカが ブルゴーニュの美男子と結婚し 権力が彼のファミリーに移っていったところから始まるのだが これはまた別の機会に。
ところで 1643年5月19日 フランス北部ロクロアでの戦。 フランス軍22000人 スペイン軍20000人で戦われた。 しかし 実際にはスペイン軍というのは カトリック軍ということでインターナショナルグループだった。 その中でテルシオと呼ばれるスペイングループはわずか4500人の歩兵。 このテルシオが ほかの軍隊(イタリアやアルザスなど) が逃げてしまうまで フランス軍の足止めをしていた。 その時のフランスの隊長はLouis, duc d'Enghien のちにコンデ公ルイ2世 (Louis II de Bourbon, prince de Condé,)呼ばれるのだが 当時弱冠 21才。 スペイン軍の勇気にうたれ 退散させることを提案する。 白い旗を持って逃げればもう追いかけることはないと。 それは当時ではかなり侮辱的なことではあったが 勇者達を殺すにしのびなかったわけです。 史実では スペイン軍は 白い旗を持ち逃げます。 すでにかなりの死者が出ていてたらしいのですが。

こういう場合 逃げるのはかっこわるい?
私は やっぱりプロであれば逃げるのが本当だと思うのです。
逃げて 生きて もう一度 国のために働こうと思う。

ところで前置きが長くなったのですが 先日見た アラトリステではロクロアの戦いで 提案はされるのですが それを蹴って 美しく死ぬ方を選ぶのです。 その方が現代的にはかっこいいのでしょうか。 ぶざまでも生き続けていく。 おまけにテルシオは実際は 4500人 その時点でも半数は残っていたはずなのに どう考えても百人いるかいないか。その少ない人数でたたかいつづけるのです。まるで特攻隊。
私は やっぱりかっこわるくても逃げることを選びます。 単に臆病なだけかもしれないけど。

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by cazorla | 2006-09-10 10:42 | スペイン 文化 言葉 | Trackback | Comments(6)

ガソルと王様

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バスケット世界大会でスペインが優勝して 王様とお妃様がお祝いにいらっしゃいました。
こういう王様 好きです。ほっぺさわってる。
彼もかなり背が高いのです。
190くらいあるのです。 でもガソルと一緒だとやっぱり小さい。
お妃様は ギリシャ人。

王様は 父親と亡命していたのですがフランコの時 連れ戻されて王位につきました。 父親のほうが王位継承権があり 本人ももどりたかったのですが フランコは「大人の王様」は必要なく 今の王様だけ スペインに連れ戻されました。 
by cazorla | 2006-09-06 07:46 | スペインの新聞から | Trackback | Comments(21)

最近 ちょっと所用でマドリッド方面通り過ぎました。
マドリッドには用がなかったんだけど 国道間違えてUターンしなくてはならず それならと 街の中に入ってしまった。そこはアルトゥロ・ソリア。
メトロの地図ご覧ください     マドリッド・メトロ地図
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夫は小さい時ここに住んでいました。
少し入ったところに一軒家ばかりがならんだ一角があるんですが そのうちの一件に住んでいました。 その後 そこは手狭になってもっと郊外の家に引っ越したんですが その四十年前に建てられ 十年近く住んだその家がどうなっているか見に行こうということになり 見に行きました。 そこには 彼の家がまだありました。 ガレージの上に秘密の隠れ家を造ってもらいそこで勉強したり 友達と秘密の相談をしたりしていた その部屋もあるし 小さなプールもそのまま 木だけがずいぶん大きくなっていました。

その近くに 日本人の男性と中国人の女性のカップルが住んでいたんだそうです。
彼らには子供が3人いて 一番大きい人は当時もう医学部の学生で一番小さい人が すこしうちの夫より大きくて よく遊んでいたそうです。 日本人男性は みんなに軍曹と呼ばれていました。 でも なぜそこに住んでいたのか どういういきさつがあるのかはなぞだったそうです。みんな 秘密には 近づかないようにしていたとか。
だいたい 息子さんの年齢で計算すると ご長男が生まれたのが1950年くらい。
たぶん 戦後 スペインにやって来たのだと思います。
でも 長嶺ヤス子が1960年に渡世した時でさえなかなか大変だったのだから これはきっと政治がらみの亡命ではないかと みんなひそかに噂していたとか。
皆の前では それぞれの言語を使うことなく  スペイン語で話し 子供達にも アンヘル ハビエルと スペイン語名。 近所の子供達は チノ・アンヘル(中国人のアンヘル)と呼んでいたそうです。て゜も 決して いじめがあったわけでもなく あの当時ほとんどアジア系が住んでいないスペインで しっかりなじんでいたのだそうです。
今は どうしているだろう と 少し感慨深い夫でした。

そのあと ガソリンが少ないので ガソリン・スタンドに行ったんですがそこも二十五年ぶり。
でも そこにありました。

アルトゥロ・ソリアは道が広く 道の真ん中に緑の地域があります。
国道ができるとき そこを国道の一部にして もっと便利にする計画があったんですが 住民の反対で 今でも そこは不便なまま でも緑の地域に 屋台のコーヒーショップやアイスクリーム屋さんが並び 犬のお散歩をする人たちがいて マドリッドのかなり都心部なのに緑が多く 静かな一角のままです。 そういうマドリッドが大好きです。

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by cazorla | 2006-08-26 07:44 | アンダルシア以外の街 | Trackback | Comments(12)

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この暗そうな建物。 もともとは 修道女の学校です。中に入っていくと
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床は白くて新しいでしょ? そして
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普通に職業安定所です。
三ヶ月に一度通ってます。
by cazorla | 2006-08-15 06:55 | カソルラ | Trackback | Comments(8)

Sencillez sin ornamentos

私の大好きな雑誌Habitaniaのパックナンバーを見ていたら おもわず目がとまってしまったインタピュー記事。

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 マドリッドのレストランのオーナーの紹介だったので マドリッドに住んでいないし あんまり興味がなかったので 読み飛ばしていたのです。
それは Jesus Vazques(ヘスス バスケス)が レストランをオープンしたばかりの頃の記事。 で 私は テレビを見ないので全然知らなかったのですが どうやらテレビに出る人らしい。つまり タレント経営のレストラン ということ?
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ハンサムな人です。

特別な瞬間の感覚
ー テイストsabor
「誰かの唇から口うつしで飲むワイン」
ー 音色
「静寂」
ー手触り
「皮膚」

そう 同性愛の人です。 
インタビュー読みながらガンガン突っ込み入れたくなるのは おばちゃんだからですが。
こういう感覚でいられるのは羨ましい限りです。

レストラン Komodo Recoletos 13, Madrid 915 756 453
http://www.komodomadrid.es/ 

料理は地中海料理仕立てのインドネシア タイ料理。

スペインは 同性同士で結婚できます。
デンマークがまず始めたのだと思ってますか?
実はデンマークもイギリスも その他の国も 結婚といっても 法的ユニットとして扱われているだけで 「夫婦」ではないのです。 スペインは夫婦なので 全ての権利が同じです。
養子をもらうこともできます。
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写真はヘスス・バスケスと彼の配偶者。(tele5のページから)
最近 同性のカップルに対する嫌がらせ事件が増えています。
法的に認められたことで 人前でキスしたりというのが増えてきたからということが原因らしいです。 先日もマドリッドのプールで いきなり殴られたり。
子供には見せたくないという父親の心情もわからなくもないのですが。

スペインでは 離婚に時間がかかります。 裁判を通して何度も話し合わなければなりません。最低でも三年くらいかかります。 同性の結婚が認められて デモンストレーション的結婚も多かったのか 離婚が多いのです。 三ヶ月で離婚する人たちも多いので 今裁判所はパンク状態で ますます離婚に時間がかかるらしい。 
(日本はその点はんこを押せば良いだけだから ラクです。 双方が 意見が一致している場合は)

キューバのフィデロ・カストロ氏がもうすぐ八十歳のお誕生日なんですね。
かれは本当に 同性愛者を嫌ってました。
レイナルド・アレナスも 亡命しました。
同性愛者のことを書いていたら ふとカストロのことを思い出してしまったのです。
でも そんな彼も映画「苺とチョコレート」を制作することを許可しています。 ホモの芸術家が キューバの政策を批判する場面もあるのです。

カストロが政治家としてどうだかという評価を出すのは結構難しいと思います。
もちろん 独裁者だし 沢山の人が亡命しました。 大好きな作家レイナルド・アレナスもそうだし
撮影監督ネストレも。 一方  夫の職場の同僚は日本の生活にうんざりして キューバに移住し幸せに暮らしています。

カストロを見ているとうちの義父を思い出して 同世代だし よくしゃべるし
で 元気になられることを 祈ってます。
by cazorla | 2006-08-13 08:49 | アンダルシア以外の街 | Trackback | Comments(8)