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ドイツのCMが、アジア系女性蔑視ということで話題になってる。
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こちらの記事で 基本的に私が思ってることも書かれているんですが。
(いい記事だと思います。)

内容は、畑仕事をしているドイツ人男性の下着をパッケージに入れて自販機で売って、それを購入したアジア系女性(多分日本人)が臭って恍惚表情をするというもの。

私もこれ、差別とは思いません。

80年代って下着売ってた時代をご存知でしょうか?今もやってるの?
女の子が着用している下着を売ってお金にしていた。
そういうものを購入する男たちがいた。そういう時代。
自販機もあったらしいんですが、それは知りません。

でね、下着を売っていたのは女性で買っていたのは男性。

辱められていたのは女性で辱めてたのは男性。
それが逆転して男が下着売ってる。
そういうことでしょ?

で、あえて差別というか、誰かをおちょくっているとすれば、それはアジア女性ではなくアジア男性なんです。

このCMでは、アジアの男はこんな男性的な匂いはしないだろ、だからアジアの女性はこういうの買って幸せ(春)を感じてね
ってことなんだと思う。

結構、このCM作った人って日本文化オタクなんじゃないかなって思う。
春を買うって言葉を知ってるんだから。

80年代に下着を売った女性たちは幸せになっているんだろうかとふと思う。
下着を売るくらいどうよって思ってたんじゃないかな?
別に売春するわけじゃないからって。
でもね、下着を売るってことで何かが狂う人もいるよ。

80年代はライブハウスがたくさんあった。吉祥寺にもあったよね。曼荼羅だっけ?
私の好きなジャズシンガーの子がね、とっても可愛くて。マキエちゃんって名前だったんだけど。
好きでさ、顔も可愛いし、歌も良かった。なんとなく電話番号交換して。

楽しかったねー、飲みに行っていろんなこと話した。

ある日電話がかかって来て
「下着、売ったんだ。10万円くれたよ」

どう答えたらいいのかわからなかった。
バカみたいにふーんと答えた。

「あんたも売らない?」とマキエちゃんがきく。

「私は」

「売らない」

電話が切れた。

マキエちゃんとはそれっきりになった。
売ったことで傷ついたマキエちゃんは私に共犯になって欲しかったのかもしれない。

私は寄り添うことができなかった。

下着くらい売ったってなんてことないよね。
そうさ、それでどうにかなるってことないし、お金もらえていいじゃん。

そう一緒に言いたかったのかもしれない。

ドイツの農夫たちは、臭い下着を売る。
下着を売っても傷つかない男たち。



by cazorla | 2019-04-03 02:12 | 思うこと | Trackback | Comments(4)

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ブログの素敵なことはブログを通じていろんな意見を聞けること。
ツイッターとは違う。
どう違うんだろう。
多分こたつに入って、ゆっくりとそれぞれの意見を言い合うような、それがブログ。

私が本格的にブログを始めたのは、セイロンベンケイさんという素敵なブロガーがいたから。
今はミミズさんという。

ミミズさんはよくブログを消しちゃうのでここにコメントをコピペしとく。
多分ミミズさんは許してくれる。(してくれないかもしれない)

以前、ミミズさんが拙ブログでコメントくださったことがある。
その記事がどっかで取り上げられて、pvが伸びていたので、どういうことで取り上げられたのか見に行ったらミミズさんのコメントが褒められていた。
コメントがとてもおしゃれだとかなんとか。

記事は家に幼児を置いてけぼりにした場合は虐待なのに認知症の老人は虐待にならないのはなぜ
ってことだったんだけど。
少しずれて、ちょうど考えていたこと。
子殺しは罪が軽すぎないかなってことを考えていたので疑問を投げた。
そのコメントへの返信とそのまた返信の返信。

で、考えたんだけど、今、すごく議論とかあるのは、(世間で)前提が違うんだよね、きっと。
ミミズさんと話してると、元の意見は違っても納得することがいっぱいあるのはやっぱり前提が同じ、または相手の前提を理解してるからなんだろうな。

Commented by cazorla at 2019-03-19 02:10 x
この間、ちょっと考えてたんだけど、
親殺しって刑が重いでしょう?
多分刑法が変わってないから同じだと思うんだけど。
子殺し、この間見たの確か10年、軽くない?

あと、三つ子の次男を殺した事件
重すぎるって軽くするための署名運動が来たんですが、
子育てが大変だからって2回も床に叩きつける?
2回叩きつけたんだからこれは殺意があったと言われてもしょうがない様な気がする。

という様なことを昨夜考えてました。
記事とはずれるけど

Commented bymimizu at 2019-03-19 10:32
> cazorlaさん

おひさしぶり。
入院の報せも何もせずにごめんなさい。
まあカソルラさんはそういう小さいことは省いていいかと思って。
ちなみに今日の午後退院です。

罪の重さという視点では考えたこともなかったけど、量刑としては親殺しの方が重いの?
だとしたら「育ててもらった恩を忘れて」というのが基本にあるのかもね。
子どもの場合は面倒見てやる存在という意識が働いてるのかな?
どちらも虐待という事例は除外されてるんだろうし、そういう意識がまかり通った良き時代に決められたものなんだろうね。
良き時代、、、きっとそうだったんだろうと思います。
Commented by cazorla at 2019-03-20 09:55 x
高校の時の社会、えっと法律とか入った科目ってなんだった?
その時、習った言葉が忘れられない。男の40くらいの先生だったけど。
「親父ってさ、殺したくってたまらないからやっぱり刑を重くしとかないと、こんくらいの刑なら殺してもいいかなって思うわけよ。だから刑が他より重いの。でもね、不公平だよね、親殺しの方が刑が思いなんてね」

そういうもんかなーって。
でも最近はやたら子殺し多いよね。あ、親殺しも多いかも。
子殺しはどんな事情があっても許せんなと私は思う。
親はね、加害者だったこともあるわけで、

親に殺されるのは嫌だけど、子供に殺されるんならしょうがないなって思う。
で、殺されたんじゃなく、自殺だったように細工して死にたいな。
って、殺されたら細工はできないね。遺書書いといてあげるとか。
Commented bymimizu at 2019-03-21 11:38
> cazorlaさん

父親は殺したいくらい憎かったな。
小学校の頃は本当に大きくなったら殺してやるって思ったし、本気で毒物をごはんに混ぜてやるとか思ってた。
まあ毒物が手に入らなくてよかったのと、僕は中3くらいまで小さくて(虐待されてる子は伸びないみたい)、高校入ってから一気に伸びたけどその時にはもう家にいる気もなくて家出したから殺さずにすんだ。
でもね、あんな親ではあるけど、死んじゃったらあれでけっこういい親父に思えたりね。
いや、死ぬ前から、認知症になってむちゃくちゃだった親父はけっこうかわいかったな。
なんて言うんだろう、、、迷惑な存在って案外愛せるよね。
Commented bymimizu at 2019-03-22 01:22
> cazorlaさん

その社会の先生の主張は裁判所で通ったみたいよ(カソルラさんのコメントを読んで気になった人が調べてくれてる)。
https://houritsu.tac-school.co.jp/blog/gyosei/1803280107.html
「尊属殺重罰規定の立法目的自体は不合理な差別とはいえなけれども、それを達成するための手段として、死刑と無期懲役しかないのは、不合理な差別といえるので、刑法200条は憲法に違反する。だから、尊属殺人があったとしても、普通殺人として扱うことになるということです」。
法律だから合理的かどうかが争われるのは無理ないところなんだろうけど、そもそも合理的な殺人ってあるのかな。
いずれにしても、親殺しは罪が重いと言われていたのはやっぱり良き時代だったんだろうなと思います。
親がいなけりゃ自分はこの世に存在しないということを道徳のように教えてた時代。
泉谷しげるのひねくれ子守歌という曲に「生れたくて生れてきたんじゃない」という歌詞があって、高校の頃の僕は「そうだ!そうだ!」って拳を振り上げたのを憶えてるけど(笑)
Commented by cazorla at 2019-03-23 07:59 x
>親殺しは罪が重いと言われていたのはやっぱり良き時代

そうなのかもですね。
その時代は親も子供を殺すということを考えなかったし、子育てが大変だとも思ってなかった。そこのただあるものとして受け入れてたんでしょうね。

三つ子の1人を殺したお母さん
お父さんが役立たずだったってことで
なんで夫はのうのうと外にいるんだって意見があって
減刑の署名運動があるんだけど、

ちょっと違和感感じるのね。それって私がババアだからかな。
それは彼女の問題であって夫が無能であったことは関係ないんじゃないかって。
そりゃ、夫がバシバシ子育てしてたら殺さないで済んだって考えがあるのはわかるけど

殺したんだよ、自分の子供を

殺すってすごいエネルギーが必要だと思うんだよね。
たとえ、未熟児で生まれたとしても、すでに11ヶ月になっていたら。

夫はもしかしたら子供に興味がなかったのかもしれない。
Commented by cazorla at 2019-03-23 08:01 x
自由じゃない時代に自由を勝ち得ようと頑張るところに自由の意味がある

と。

自由って実は存在しないもので、得たと思ったら実は得てないもの。
存在しないもので

ただ、自由がなくて拘束されている時代に自由になりたいともがくことが自由の存在意義なんじゃないかなって感じ。

それが親なんだよね、きっと。
Commented by cazorla at 2019-03-23 08:04 x
子供ができて楽しいなと感じたのは、うっかり取り落として問題ないことで、
赤ちゃんとめちゃぐちゃぐちゃにして遊んだ。

でもさ、もしかしたら今は育児書とかに書いてあるように、他の人に怒られないように、頑張らなくちゃいけないから大変なのかなと思ったりします。

もっと気楽に楽しめばいいのにね。

とかいうと楽な子供だったと思われるけど2時間しか寝ない、脳を半分ずつ使う子だったんだよね。眠らないと気分がおかしくなることもわかるつもりだけど。
でも子供がいるって素敵なことじゃない?
Commented bymimizu at 2019-03-24 21:38
> cazorlaさん

三つ子の話って有名な話なの?
知らない(なら調べろって話だけど)からコメントしようがないけど、自分の行為に対して「〇〇のせい」という人は多いよね。
気持ちはわからなくないし、実際きっかけとなることがなければその人の人生全く違ったものになってた可能性はおおいにあるわけだけど、それでも僕は「誰かの」とか「何かの」せいにするのは好きじゃない。
それが僕の自己責任観かなあ。
自己責任っていうのは自由の原理だと思うのね。
でもじゃあ自由とか自然とかってどんなもの?と問われると答えに窮するけど、「私は自由に生きてる」とか「俺は自然に生きてる」とかって言葉を聞くとその人はすごく不自由してるんだなとか、自然に生きてるって言えるってすごく不自然じゃない?とか思っちゃう。
Commented bymimizu at 2019-03-24 21:39
> cazorlaさん

>他の人に怒られないように、頑張らなくちゃいけないから大変なのかなと思ったりします。

公的自己意識ってやつだよね。
反対に「もっと気楽に楽しめばいいのにね」が私的自己意識。
日本では前者が強くて、欧米諸国は後者が強いと言われてるみたいだけど・・・。

>でも子供がいるって素敵なことじゃない?

うん、すごく素敵。
育児に限らず介護も同じで、「えーい、くそ!」と思うことのできる対象がいる暮らしって素敵と思います。
それは例えば伴侶に対しても。
そしてもっと範囲を大きくすれば、学校で、職場で、地域で、思い通りにならない相手がいる暮らしも。
ここでさっきの自由の話に戻るけど、だから自由ってすばらしいと思うんだろうなと。





by cazorla | 2019-03-26 16:41 | 思うこと | Trackback | Comments(6)

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マドリードに行ってきた帰り。
リナーレス・バエサ駅で。
じっと待ってる犬。

田舎の駅ってオープンスペースだから、犬も簡単に中に入れる。
電車に乗って隣町に行きたければ行ける。たぶん。

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待つ人はなかなか来ないようだ。

じっと見ている。
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カメラに気づいたみたい。
なんか用?

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ほっといてくれよね、って顔してる。

待つことは幸せなんだよ。

ドイツだったか、忠犬ハチ公はダメだって記事が出てた。
飼い主を待って何年も時間を無駄にするのは、良くない。
だから映画も教育上良くないとかいう話。

スペインでは忠犬ハチ公に似た犬がいてやっぱり銅像が建っている。
犬は犬の人生(犬生)を生きる。
犬には犬の生活がある。

それでいいじゃないかと。

私は私の人生があるし。

まあ、それでいいんじゃないかと。

そうじゃないですか?

ビオラを弾きながら鼠の帰りを待っていた人もいる。

それはそれでいいんじゃないかと。
待つ人がいない人生も
待つ人がいた人生も
待っててくれた人がいた人生も
誰も待たずに1人だった人生も
全て等しく素敵だったと。



by cazorla | 2019-03-23 08:33 | しょうもないこと | Trackback | Comments(4)



スペインでは、かなり以前から同性婚が認められています。
カソルラ村のように人口8,000人の村でも20組以上の同性婚夫婦が住んでいます。
当然、カップルを含めるとどのくらいの数になるのかわかりません。

レストランでも同性カップルウエルカムの広告。
カソルラのおしゃれなレストランの一つライセス。

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男性同士

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女性同士

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そして美味しい料理。

同性婚は個人的には関係なく、あ、たまに娘が長男が同性と結婚するって言ったら認めるかと聞かれたりしますが、
特に今のところ関係ないんですが、
やっぱり最大の問題は遺産相続ではないかと、まあ、この歳になると考えるわけです。

夫婦の場合、どっちかが死んでも家に住み続けることになりますよね。
たまに無慈悲な息子や娘が、自分の持ち分が欲しいから家を売れっていうケースもあるかもしれませんが、
基本的に、家はそのままで住み続けます。

しかし、同性カップルの場合、仮にその家が共有財産であっても、
つまり名義が二人の名前であっても、どちらかが死んだ場合、その半分について相続人が生まれるわけです。

もし豪邸であれば、会ったこともないような遠い親戚が出てくるかもしれません。

半分の権利について、主張してくるでしょう。

そういう諸々。
歳をとって静かに暮らしたい人たちの諸々の問題を、同性婚って制度は支えてくれるのではないかなと考えます。

つまりポエムな話ではなく、実質的な問題で、許可すべきなんではないかと考えるわけです。
同性カップルが生理的に嫌いという人もいるかもしれません。
でも、そういう問題ではなく、一人一人がそれぞれの権利をちゃんと維持できるといいなと思うわけです。

by cazorla | 2019-02-23 09:22 | カソルラ | Trackback | Comments(6)

言葉を失った。
みんな仕事はちゃんとできてるんかな??
家庭となると小学低学年レベルになるのなんでなんだろ?


こういうツイッターがあって。

夫「◯◯(夫友人・既婚子持ち)がさ、仕事帰りのパチンコ通いを奥さんに怒られたらしくて。パチンコはやめてジムに行くことにしたんだけどそれでも奥さんは機嫌悪いらしくて。ジムなら健康的だし痩せられるし何が悪いのかわかんねぇなって話になったんだけど、なんでだと思う?」
私「おまえらまじか」

実はわかんなかった。
私も夫の立場で、なんでだと思う?って聞きたくなった。
で、リツイートもいっぱいあるし、返信読んでやっと理解できました。

言葉を失った。
みんな仕事はちゃんとできてるんかな??
家庭となると小学低学年レベルになるのなんでなんだろ?

こういうのがわかんないから私は一般受けできるようなことが書けないんだなーと。

でもさ、なんで怒るのか、よくわかんなくって。
それだけ夫が人生にコミットメントしてないからなの?

こういうのが一般的見解なのかなぁ。
だとしたらちょっと悲しすぎないか?

男がジムに行くと、NK細胞が増えてガンになりにくくなるし、健康に気を使うことはいいことだと思うけど。

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まあ、たまには男性諸氏もちょっと素敵なレストランに奥方を連れて行くべきってことなんでしょうか。






by cazorla | 2019-02-22 21:56 | しょうもないこと | Trackback | Comments(9)

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1990年にスペインを3ヶ月かけて歩き回りました。
サルスエラ(スペインオペラ)の舞台を初めて見たのもこのとき。
当時はまだ、ピカソのゲルニカがプラド美術館の別館にあり、絨毯を敷いた特別室で鑑賞できました。
多くの人が絨毯の上に寝そべってのんびりと楽しんでいました。

1981年にニューヨークからスペインに戻されたばかりの時代です。

ピカソが死に、もうすぐバルセロナオリンピックが始まるそんな時代。
人々は素朴で、静か。
年をとった人が、(たとえ裕福であっても)小さな携帯ラジオでサッカーの試合を楽しむことが唯一の娯楽だったような時代。

ほぼ、全くスペイン語を話さない、勉強していない時代でした。
ホテルの探し方や道の聞き方程度を1週間で頭に詰め込んで拙いスペイン語で旅をしました。
だからしょっちゅう怒鳴るように「グァッパ」と叫ばれると、ちょっと怖かったのです。
グァッパの意味がわかりませんでした。

ある日は5人くらいの老人たちがスリスリと近寄ってきて、怖い顔でじっと見て全員でグァッパと言って去っていきます。
子供達も自転車で追いかけてきて「グァッパ」と言って、走り去っていきます。

疲れているときは、ちょっと悲しい気持ちになりました。

アンダルシアのロンダというまちでアントニオという日本語を勉強しているという男の子に出会いました。
大学ではタイの文化を勉強し、タイ語が専門だそうですが、日本語も話せます。
実はまだ勉強し始めて、6ヶ月とのことでしたが、すでに数カ国語を学んでいるせいかかなりのレベルでした。

彼にしょっちゅう「グァッパ」っていわれるんだけどどういう意味なのか聞きました。
すると彼の答えは「美人ってことだよ。」
すぐには信じられませんでした。
きっとスペインのことを嫌いにならないで欲しいからそんな嘘をついてるんじゃないかと勘ぐりました。

彼の家や彼のいとこの家などに連れて行ってもらいました。
すると子供達が近寄ってきて、「グァッパ」と口々に叫びます。

「みんながあんまり綺麗なんでびっくりしてるんだよ」とアントニオ。

言葉がわからないと、被害者意識の陥ってしまうのです。
本当はみんなとても好意的なもの。

最近、よくツイッターでスペインで差別なんて書いてる人がいますが、単に美人のあなたと話したいだけかも。

ちなみに私は決して美人ではありません。
ただ、当時は若く、日本人も少なかったこと、そして黒髪が真っ直ぐだったことでグァッパと呼ばれていたのでしょう。

一度、おじいさんに真っ直ぐの黒髪を見てるだけで意識が朦朧とするくらい感動するんだというようなことを言って、失神するふりをされました。

日本人の女の子って「信じられないくらい」綺麗だと思われるようですよ。



この記事に張っている写真の7年前だから、やっぱり可愛かったんだなと自分で思う。
基本的に多くの人はあんまり自分を可愛いなんて思わずに過ごしてしまいますよね。勿体無い。
コンプレックスの塊でした。

スペインを旅していた時の話はこちらに。






by cazorla | 2019-02-17 07:07 | 思い出 | Trackback | Comments(7)

自分が差別されていると感じてしまうと、とても深い井戸の中に落ち込んでしまう。

どんなにそれは差別じゃないかもしれないと言っても同じこと。

差別って自分の価値観が反映されるものじゃないかな?


最近はこれ。
グッチのセーターが黒人蔑視ということで、話題になりました。
黒人の分厚い唇。
でもね、多くの白人は薄い唇にコンプレックスを持っているんじゃなかったでしょうか。

随分昔に書いた記事ですが、フランス、実存主義時代の歌手、マルセル・ムルージの自叙伝的小説「エンリコ」


解説の中で マルセルは オリエンタルと結婚した西洋人の女は
常に オリエンタルの女に対する コンプレックスに悩み続ける
と 書いています。

ディーネセンも「アフリカの日々」の中でアフリカの女性がつけているアクセサリーがあまりに綺麗で無理やり売ってもらって自分でつけてみたら、自分の醜い肌には全くアクセサリーが映えず、がっかりした経験を書いてます。

差別、差別という人はどこかに白人の方が上という考え方がインプットされてるんじゃないですか?

随分前ですが、エホバの証人が「私たちは中国人だからって差別しないわ。みんな同じ能力を持った人間よ」というのにものすごくムカついたことがあります。
そんなことあえていうこと自体が差別でしょ。


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最後にムルージの曲をどうぞ






by cazorla | 2019-02-08 21:05 | スペイン 文化 言葉 | Trackback | Comments(5)

差別って本当にあるの?

日本人は特に日本国内で静かに暮らしているから、日本を一歩外に出ると中国人と呼ばれるのが嫌いだ。
いきなり「チノ(チナ)」の路上で叫ばれると不快ですが、だからといってそれが必ずしも差別ということではないと思います。

息子がいじめにあっている時 に、周りのスペイン人は「それは差別じゃないの!」と怒ったが、私は差別として一つのカテゴリーに入れてしまうことに疑いを持った。
確かに息子は「チノ」と呼ばれて殴られた。
しかし、「チノ」とは、それ以外に彼を罵る言葉がないから出て来たこと。
そして本人が一番不快に感じる言葉だから使われていたのだろう。

第一、「醜い」とはいえない。
チビ、痩せ、デブ、のろま、ばか。
あらゆる罵りの言葉がどんなに頑張ってもいえないのだからチノと呼んでしまうのだ。

それに、チノにチノって呼んで何が悪い、と私は言った。
チノは中国人。
私たちは中国人じゃないとあなたは言うかもしれない。
でも私たちは東アジア民族。
ほぼ同じような民族なのだ。
7世紀に多くの中国人、それも文人たちが日本に来た。
そして帰化した。
母の故郷は、大分県の日田市だが、どうやら中国人がその頃にたくさん来ているのではないかと言う。
それは、例えば、亀山公園を日田では「かめやまこうえん」とは読まない。
きざん公園と呼ぶ。

チノと呼ばれて怒るのは、私たちの心の中に中国人に対する差別意識があるからではないですか?

息子のいじめ問題は、高校に入って、身長が伸びたことで自然と消えてしまった。
いじめっ子たちが、へこへこと頭を下げて握手を求めるようになった。
もしも「差別」なんて哲学的な意味合いがあったのなら、背が高くなったことくらいで消えるものではないだろう。

チノと呼ばれて、私以上に傷ついていたと思う。

日本人ならチノやチナと呼ばれても実は大したことじゃないんだと、私は思う。
差別だ、差別だと騒がずに、そう言う人たちはただの不躾な人なのだと思えばいい。

考えてみて。
息子は父親がスペイン人だし、スペイン国籍も持っている。
それでチノと呼ばれるのは辛いと思うよ。

あとね、中国が一人っ子政策をしていた頃、中国で不要とされてしまった女の子たちが養女できてる。
彼女たちはほとんどの場合、赤ちゃんの時に来てるから、家族に大事に育てられ自分が家族の一員だと思ってる。
そんな彼女たちが幼稚園に入った途端に「チナ」と呼ばれる。
それもやっぱり辛いと思うよ。

でもね、言ってる方は対して意味なんか考えてないんだ。
なんとなく口について出る。

娘が赤ちゃん時代、まだ東京に住んでいる時に、「可愛い」と叫んでくる女の子たちがたくさんいた。
娘は恐怖で、人嫌いになったし、コンプレックスを持った。
他の違う顔であることに。
可愛いって褒めてるんだからいいじゃんと思う人もいっぱいいる。
確かにチノよりマシかもしれない。
ただ、ここで共通なのは、言われる相手の人格を全く気にしてないと言うこと。

誰かが、スペイン人に「ドイツ人」って言ってもなんだって感じだろうけど
「モロッコ人」って言ったら不快に感じるんじゃないかなって書いてたけど
それはやっぱり違うと思う。
民族ってことがわかってない。
ドイツ人はゲルマン民族だし、モロッコ人はアラブ系。
民族が違う。
それはやっぱりちょっと違う。
違うし、そう言った人は少なからず日本の価値観で物を言ってる。
だって、スペインでは、モロッコ人だからって特に差別してない場合もあるし、
反対にドイツ人に対する差別は目を覆いたくなるほどひどいってことを実は日本人は知らない。

差別ってね、少なからずあることは事実。
でもね、なくならせようとしても無理なんじゃないかな?
じゃあ、我慢するのってあなたは訊くかもしれない
いや、我慢んするってことじゃなくて、差別があるってことを受け入れるんだ。
差別はある。ここにもあるしあっちにもあるし、どこにでもある。

そのことを全ての人が知ること。
チノって言ってる子、君がどこか他の地域に旅をすれば、そこにはちょっと気分の悪くなるようなことがあるかもしれないよって
そう言うことを知れば、少しは変わるかも知れない。

差別は空気みたいなもので、いつもそこにあると思う。
でも、差別だ、差別をしちゃいけないって大騒ぎしない。
だって空気みたいなものじゃないか。

チノって言われたら、言われた理由を考えることも大事だと思う。
私たちは知らないうちに人を不快にしていることだってある。
それを息子にも話した。
知らないうちに不快にされて、君のことを不快にしたいだけじゃないのって。

話が続いてどこにもいけない状態になってしまった。
ただ言いたいことは、差別だって大騒ぎしないで、ちょっと立ち止まって見ることも必要だよってこと。
できれば、不快な気分にされたら相手に不快だよって言ってみよう。
もしかしたら気づいてないかもしれない。

ここに1人の人間がいて、魂があることに。

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末っ子です。
末っ子は、ほぼいじめには合っていません。
兄の存在が大きいからかも。

人付き合いがいいと言うのも原因かも。
アルバロという名で、赤ちゃんの時から「あーちゃん」と呼んでいました。
そのため自分のことをあーちゃんと言っていました。

幼稚園に入る前日、長男が「アルバロ、ちゃんと自分の名前をアルバロって言うんだよ。あーちゃんなんて言ったら、中国人だと思っていじめられるからな」とアドバイスしていました。
その時、長男は4歳。
ちょっと泣けてきました。

それでも、私は言います。
スペインに、差別はありません。



by cazorla | 2019-02-06 04:37 | スペイン 文化 言葉 | Trackback | Comments(8)

ブー太郎と名付けてしまったブーちゃんは実は女の子だったという件。
なんとなく変とは思っていたんだけど、やっぱりどうしても男の子だと思えてしょうがなかった理由。
それは、全く男の子が近づいてこなくなったから。

みかん(女の子、もともと長女が密かに下宿で飼っていた犬、雑種、4歳)は、人間の目から見てものすごくかわいいわけじゃないけど、犬世界ではやたらモテる。
本人よりはるかに小さなヨークシャーテリアが、無言で近づき乗ろうとする。
とにかく歩いていると、わんさかオス犬がやってくるのだ。
歩いていて、なんか重い?
と思って後ろを振り返ると乗っかってるし。
おいおい

とにかくモテてたけど、ブーちゃんが来た途端、全くオス犬が近づかなくなった。
だから思い込んでたんです、ブーちゃんはオスなんだって。
すぐにも獣医さんに連れて行って予防接種をしなくちゃいけないんだけど、
ちょっと困った環境にいた子だったからか、下痢をしたり吐いたりすることが多く、
なかなか連れて行けなかった。
その後私が肺炎にかかって動けない状態。
などなどあって、やっと年末に獣医さんに連れて行って、犬用パスポートなんかも作ってもらって、その時、「この子は女の子です」と。

そうなのね、だからみかんとも最初喧嘩が多かったんだ。
オスの仔犬ならもう少しみかんが世話をしてあげてもいいんじゃないかとは思ってたのよね。

みかんとブーちゃんが一緒に歩いていると、
オス犬「あ、かわいいみかんちゃんだ! あ、でも横にブーちゃんがいる。やめよ」
という思考経路で近づかない。

ところがですね、ブーちゃん1人だけ連れて歩くとちゃんとオスが来るんです。
ブーちゃんは側によると噛み付いたりして、とっても処女なんですが。

これって人間にも当てはまります。
友達と一緒に出かけて、それでナンパをして欲しかったら同じ系統の女友達と行かないとチャンスを失う。
男性は近づいて、タイプの女の子とどうにかなりたいと思っても、横にいる全くタイプじゃない子を見るとなんとなくめんどくさくなるんですね。

そういうわけで、今は2匹を連れて歩いているとオス犬がしつこく近づいたりしなくて、散歩も楽です。

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by cazorla | 2019-02-03 01:43 | しょうもないこと | Trackback | Comments(2)

スペインでの多くの誤解

日本の外務省の人って立派です。
世界中のほとんどの外務省の人は外国で仕事をするにしても英語とフランス語のみというのが一般的。
ところが日本の外務省の人はきちんと現地の言葉を勉強します。(おかげでうちの夫も日本で仕事があったわけですが)
それは日本という国がとても特殊な文化を持っており、外国のことを理解するために言葉からのアプローチが近道だと判断しているからだそうです。
大使として赴任する場合は、奥様もちゃんと個人レッスンを受けて出発します。

スペインの場合、都市部であれば英語だけでも大丈夫かもしれません。
最近は観光地では中国語も普通に話す人が増えてきました。(中国人は良いお客様です)
それでも長期滞在をするなら、やはりスペイン語は多少できた方がいいかもしれません。

最近はワーキングホリデイでスペインに来る人も増えてきてツイッターでスペインのことを呟いています。

一番うんざりするのは

「スペインの洗濯機はー」
というやつ。

スペインの洗濯機はプログラムが28種類あります。これはうちのですがもっと上等の洗濯機ならもっとかもしれません。一般的に20〜30というところでしょう。
そして温度調節が、常温から35度、40度、50度、60度くらいまで小刻みにあり、90度を選べるのはどれでもかはわかりませんが、これも大丈夫。
90度は丈夫な白いシーツなどでしょう。

手洗いモードというのもあって基本絹でも洗濯機で洗えます。

ところが多くの日本人はよくわからず、洗濯します。
そして「スペインの洗濯機は衣服が縮む」というようなつぶやきをするわけです。

説明書はたいていの賃貸の家では大家さんがちゃんとわかる場所においてくれているはずです。
もしなかったら大家さんに頼めば見せてくれるし、大家さん自身が説明してくれます。
シェアメイトでも教えてくれるでしょう。

家電製品はたいていの場合、ヨーロッパ各地で共通に売られているため、説明書は分厚く各言語で書かれています。ロシア語まであります。
稀に日本語もありますが、稀です。
それでも英語の説明があるので理解できるはず。
英語が苦手な私もわかる程度の英語です。
スペイン語よりわかりやすいというか、説明がシンプルなので私は大体英語の説明書を読みます。
実は夫も説明書は英語です。修飾語が少なくて良いらしい。



ずいぶん前にやはりワーホリで住んでいる人がピソ(マンション)をシェアしているんですが、シェアメイトがいつも出かけないのかと聞くとうんざりしていました。家に自分だけ残ることが不愉快なんだろうかと、不快に思っているようです。

しかし、彼らはそういうことを言っているのではありません。
20代の男性が女なしに何ヶ月も生活するというのが信じられないのです。(大丈夫かな、こいつ)
と実は心配しているのです。
もちろん、うざい。
でもそれぞれの価値観は変えられない。
スペインの男性なら、週末は彼女と、またはその日の気分の相手と楽しむのが普通だから。

まあ、どちらにしろ、少しだけコミュニケーションをとった方がいいのではないかと思います。

うちの娘が夏休みに2ヶ月間コルドバのおみやげ屋さんで働いていました。
日本人とも話せるとすごく楽しみにしていたのです。
アメリカ人はニューヨークのオーケストラについて話しました。
ドイツ人はもちろんワグナーについてしっかり1時間おしゃべりをしました。
イタリア人は別荘に招待してくれました。
それぞれがいろんな話をしてくれる中、日本人だけ無言で入ってきて無言で出て行きました。

ちょっと寂しい。

旅行ってもっと違うものじゃないですか?
そこに行って風景を見て写真を撮っておみやげ買うだけ?
それじゃあつまらないよ。

結局多くの誤解は、黙って胸に仕舞い込むことから始まります。
変だと思ったらどんどんいろんな人に話してみようよ。

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by cazorla | 2019-01-29 23:01 | スペイン 文化 言葉 | Trackback | Comments(4)