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誕生日のものがたりで紹介した ムーア人。 ビデオを見つけたので。 
30分以下の短いビデオです。

小説 とても美しいお話なんで是非 読んでくださいね。本のほうがずっとすてきです。

http://www.imdb.com/video/wab/vi1205600537/
by cazorla | 2012-08-16 07:48 | お気に入りのもの | Trackback | Comments(9)

最高のおとこ

人生は おとぎ話 に満ちている。」を書きながら やっぱり 存在の耐えられない軽さのトマーシュが好きだな と思ってしまいました。 もう 二十年近くも読み続けている 存在の耐えられない軽さ。 以前の記事に すでに書いていますが だれとでも 寝てしまうトマーシュは 誠実な人なのだと思う。 誠実で 愛が深い。 よけいなことは考えない。
存在の耐えられない軽さ 第七章 カレーニンの微笑み。 カレーニンは トマーシュが妻と一緒に飼っている犬。 その犬が 癌になって もうすぐ死のうとしている。 トマーシュは カレーニンの大好きな小型のパンを口にくわえて よつんばいになって 歩く。 ほら ぼくはこんなすてきなものを持っているのだよと 見せびらかすようにして。 
ほんの少し 動くカレーニン。 それを見て喜ぶ トマーシュ。
愛が 強いのだと思う。

だから 自分をだますことなく生きてきた。
政治的発言もそう。
それはミラン・クンデラの祈りでもあったのだと思う。
共産党員だったときにおかした罪にたいする報い。
それを トマーシュを通して 描きたかった。
彼自身もトマーシュになりたかったのだと思う。
そう トマーシュは 理想の男なのだ。

あらゆるすべての人たちにとって。

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若かりし 小生意気な小娘だった時代。
まだ 存在の耐えられない軽さも読んだことがないし だいたい 存在していなかったころ。
それでも わたしは トマーシュのような人を好きだった。
だれとでも寝てしまう男。 
小生意気な小娘は それを 清らかなる精液を持つ男と呼んでいた。
川は流れ
よどみなく流れるからこそ
それはにごることなく
清らかな水の流れ

わたしは そういう男たちに会うと 彼らの中に川の流れの音を聞いた。

こういう人を夫にすると ものすごくたいへんだと思う。
それでも 心の隅で あこがれのようなものを持ってしまう。
危険な恋がしたいのでしょうか。
by cazorla | 2012-08-12 10:31 | 思うこと | Trackback | Comments(19)

プールサイド

村上春樹の短編「プールサイド」。
たぶんかなり多くの人が ブログでこの小説を取り上げていると思う。
三十五歳の誕生日に 人生の折り返し地点にしようと決心した男の告白。
歯を治療し ダイエットし 若い恋人を持つ。
仕事も順調。 

妻がアイロンをかけている。 ラジオから流れるビリージョエルを聞きながら
なぜか涙が流れてくる。

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もう若くないと感じるには私の場合 三十五歳はあまりにも忙しかった。
初めての妊娠。36歳で出産。 39歳で二度め。 41で三度目。
もちろん 39で妊娠したとき 歯が欠けてしまって 治療した。
出産した日 鏡に映った顔がちょっと疲れて 白髪を二本みつけた。
もう妊娠はしないだろうと思った。
40でスペインに移住。
もう子供は産まないと思っていたのに 環境がかわったせいか あっという間に妊娠。

2年後 カソルラ アンダルシアの山奥に引っ越し。
特別 おしゃれをしてでかけることもなく 知らないうちに老いていた。

ビオラを習い始めたのが46歳。
27歳の先生のそばにいて 自分が年取ったなと感じた。
周りは 子供たちばかり。 もしこれが若くてきれいなお嬢さんたちなら恥ずかしくって
たまらなかったと思うけど 子供たちだから そこで 汚くない程度に身繕いしようと思った。
そして 四年の初級と六年の中級 できるものならさらに四年の上級に行くとして
終わったとき 60歳。 それまでは きれいでいよう と決心した。
歯医者に行き 歯をきれいにして ダイエット。
プールサイドの主人公のように。

人生を区切って考えるっていうのはよくわかる。
わたしもへたくそだけど 水泳をするから。
2000メートルを泳ぐとき もし ただひたすら 泳がなくてはいけないのであれば
途中でおぼれてしまうと思う。 まず1000メートルを目標に そしてそれまた区切って
25メートルを40回だから 一回 二回 と数えていく。

46歳を折り返しのような感じにしたけど それは ほんとは遅すぎるのかもしれない。
51歳と八ヶ月目 突然生理が止まらなくなった。
一ヶ月 大量出血。 更年期の前触れか。
薬はもらったけど 飲む気になれず ネットで ツボを検索した。
子宮のためのツボ。
足の親指と人差し指(人はささないけど。 第二指)の間をもむ。
お風呂につかってゆっくりもむ。
そのページには なんたら茶という漢方のお茶も飲むように書いてあったが 買えないので
ただひたすら マッサージ。
現在52歳 一ヶ月。 生理はきちんと定期的にふつうにある。
さすが 漢方医のページ。

ほかの方のページをみたりしているとき 広告が出てくるでしょ?
あれって やはりみている人の個人情報を元に 広告は表示されるのでしょうか。
よく 見るのが「白髪染め さぼっていませんか?」
さぼっているつもりはないけど まだ染め始めたら 何ヶ月かごとに染めなければならなくなる。
バルガス・リョサの初期の小説「都会の犬たち」で 主人公の少年が 母親が髪を染めるのを差ぼっいるのを見て ちょっと哀しい気持ちになる。 もっときれいでいてほしいと思って。
母親が女を捨てている のが哀しいと思って。
だから 息子がどう思ってるのか ちょっと気になるけれど とりあえず まだ 少なくとも本人は気にならない程度だと 思うから。
これって言い訳?

老眼鏡。
本を読んでいて 目を上げるとめがねをちょっとさげて 遠くを見るとばばくさいから
それは やめようと思いつつ ついつい。 気をつけよう。
母は老眼鏡はぱぱくさいと 84歳の今も拒否。
すごいもんだと思う。

女の場合は 年をとっていく というのがもっと具体的で いろんな問題を抱えて
それを解決しなくてはならないから プールサイドの主人公のように文学的にはなれないかもしれない。 それとも わたしが鈍感なだけかもしれないけど。
40で日本を離れたから まだ一度も「おばさん」と呼ばれたことがない というのも原因かも。
16歳の男の子にもファーストネームで呼ばれるというのは なかなか悪くないです。
と言ったら 母が 「わたしだって 79で日本を離れるまで おばあさん なんてよばれなかったわよ。 」と自慢げであった。 
帰国したときにおばあさんと呼ばれないようがんばりたいと思います。
by cazorla | 2012-05-14 04:22 | しょうもないこと | Trackback | Comments(8)

クッキーを焼いたら なぜか一枚だけこげちゃった。
はじっこで ちょっと ほかのクッキーより薄かったのね。
かわいそうに誰も食べないので リナーレスに連れて行って 写真を撮ってあげました。
リナーレスに連れて行ったら 焦げてる上にこわれちゃった。

ハート・バーン

恋いこがれ 壊れて哀し ハートクッキー

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吉本ばななの短編 
ある時 ふと自分が傷ついてることに気づく。
なんでもないと思っていたの
妻帯者とつきあっていて 日曜日はいつもひとり。
それを当たり前だと思って 自分では 傷ついてないつもりだったのに。
傷ついた自分を 見ないようにしていることって あります。

ほんとは 好き嫌いがあるのに好き嫌いがない なんて言うのも 嫌いな物の話を
始めてしまうと とことん ネガティブなところまで行ってしまいそうで だから
好き嫌いなんてないです って 言ってしまう。

ほんとは すごく 傷ついてるのに 傷ついてるなんて言えない。
言ってしまったら もう おしまい。

主婦がお台所で歌っている。
夫は 妻が幸せなんだな と思う。
でも 主婦がお台所で歌うのは 時として 悲しさを忘れるため。



こげたクッキーの写真を撮っていたら
こげぱんを思い出した。 今でも こげぱん 元気ですか?
実はすごく好きなんです。
アニメにもなってるなんて知らなかった。

わたしの焦げたクッキーと 仲良くできるかな?




こげぱん無料動画


by cazorla | 2012-04-11 01:22 | しょうもないこと | Trackback | Comments(4)

アンダルシアの日

2月28日は アンダルシアの日です。
アンダルシアだけお休み。 
今年は火曜日で 月曜日がプエンテ(橋、 つまり日曜日と祭日にはさまってるからついでにお休み。)なのはわかるけど 明日24日金曜日からお休み。 音楽学校は来週 ずっとお休み。
休みだらけです。
で 今日木曜日は アンダルシアの日にちなんで 合唱したり(アンダルシア州歌を歌う。または
アンダルシアにちなんだ歌を歌う) パンにオリーブオイルをたらして食べたりして 授業がありませんでした。
娘たち 中学四年と高校1・2年 つまり 日本的高校生たちは ロルカの詩を朗誦しました。
娘も 詩を朗誦することになっていたので 昨日 がんばって 暗記したのですが 舞台に上ったとたん あがってしまって 忘れてしまいました。 わたしによく似ている(笑)
内気だから・・・って 思っていたんですが 心理学者によると 自己顕示欲が強すぎるので あがってしまうのだそうです。 なるほど・・。

そういうわけで ガルシア・ロルカにかかわる何かをご紹介しようと 思って探していたら
夫の大好きなカナダの歌手 レオナルド・コーエンがロルカの詩の英訳を歌っています。(この歌で アストゥリアス皇太子賞をもらいました。)



Take This Waltz


Now in Vienna there's ten pretty women
There's a shoulder where Death comes to cry
There's a lobby with nine hundred windows
There's a tree where the doves go to die
There's a piece that was torn from the morning
And it hangs in the Gallery of Frost
Ay, Ay, Ay, Ay
Take this waltz, take this waltz
Take this waltz with the clamp on its jaws
Oh I want you, I want you, I want you
On a chair with a dead magazine
In the cave at the tip of the lily
In some hallways where love's never been
On a bed where the moon has been sweating
In a cry filled with footsteps and sand
Ay, Ay, Ay, Ay
Take this waltz, take this waltz
Take its broken waist in your hand

This waltz, this waltz, this waltz, this waltz
With its very own breath of brandy and Death
Dragging its tail in the sea

There's a concert hall in Vienna
Where your mouth had a thousand reviews
There's a bar where the boys have stopped talking
They've been sentenced to death by the blues
Ah, but who is it climbs to your picture
With a garland of freshly cut tears?
Ay, Ay, Ay, Ay
Take this waltz, take this waltz
Take this waltz it's been dying for years

There's an attic where children are playing
Where I've got to lie down with you soon
In a dream of Hungarian lanterns
In the mist of some sweet afternoon
And I'll see what you've chained to your sorrow
All your sheep and your lilies of snow
Ay, Ay, Ay, Ay
Take this waltz, take this waltz
With its "I'll never forget you, you know!"

This waltz, this waltz, this waltz, this waltz ...

And I'll dance with you in Vienna
I'll be wearing a river's disguise
The hyacinth wild on my shoulder,
My mouth on the dew of your thighs
And I'll bury my soul in a scrapbook,
With the photographs there, and the moss
And I'll yield to the flood of your beauty
My cheap violin and my cross
And you'll carry me down on your dancing
To the pools that you lift on your wrist
Oh my love, Oh my love
Take this waltz, take this waltz
It's yours now. It's all that there is


スペイン語の原詩
En Viena hay diez muchachas,
un hombro donde solloza la muerte
y un bosque de palomas disecadas.
Hay un fragmento de la mañana
en el museo de la escarcha.
Hay un salón con mil ventanas.

¡Ay, ay, ay, ay!
Toma este vals con la boca cerrada.

Este vals, este vals, este vals, este vals,
de sí, de muerte y de coñac
que moja su cola en el mar.

Te quiero, te quiero, te quiero,
con la butaca y el libro muerto,
por el melancólico pasillo,
en el oscuro desván del lirio,
en nuestra cama de la luna
y en la danza que sueña la tortuga.

¡Ay, ay, ay, ay!
Toma este vals de quebrada cintura.

En Viena hay cuatro espejos
donde juegan tu boca y los ecos.
Hay una muerte para piano
que pinta de azul a los muchachos.
Hay mendigos por los tejados,
hay frescas guirnaldas de llanto.

¡Ay, ay, ay, ay!
Toma este vals que se muere en mis brazos.

Porque te quiero, te quiero, amor mío,
en el desván donde juegan los niños,
soñando viejas luces de Hungría
por los rumores de la tarde tibia,
viendo ovejas y lirios de nieve
por el silencio oscuro de tu frente.

¡Ay, ay, ay, ay!
Toma este vals, este vals del “Te quiero siempre”.

En Viena bailaré contigo
con un disfraz que tenga
cabeza de río.
¡Mira qué orillas tengo de jacintos!
Dejaré mi boca entre tus piernas,
mi alma en fotografías y azucenas,
y en las ondas oscuras de tu andar
quiero, amor mío, amor mío, dejar,
violín y sepulcro, las cintas del vals.
Letra: Federico García Lorca – Música: Leonard Cohen


日本語訳はこちら

と 探していたら 大好きな作曲家 プーランクもロルカの詩を作曲していました。
彼は スペインで音楽を学んだのですから 考えてみれば当然。
それに二人とも 同性愛者。
こちらで少しだけ 聞くことができます。

で 一番有名な詩は何でしょう?
というか 一番有名なフレーズはなんでしょう?
スペインでは たぶん Verde que te quiero verde.
緑 愛してる緑色 とでも訳せばよいのでしょうか (ごめん)
とにかく 信号待ちで 緑になると ベルデ・ケ・テ・キエロ・ベルデとつぶやくおっさんが多いです。 うちの夫もその一人。
子供たちもなんとなくつぶやいている。
永遠のフレーズ 

参考までに詩 全体のご紹介。 私もはじめて読みました。
by cazorla | 2012-02-24 02:00 | スペイン 文化 言葉 | Trackback | Comments(0)

子供は横向きになって、父親がドアのところに行って、電灯のスイッチに手をやるのを見ていた。それから言った。「ねえ 父さん、こんなこと言ったら僕の頭がおかしいと思うだろうけど、僕は父さんが小さかったときに知りあえたらよかったのになあって思うんだよ。ちょうど今の僕と同じくらいの歳の父さんにさ。でも うまく言えないんだけどさ、そう考えるとすごく寂しくなるんだ。なんていうか―そう考えただけで、もうそれだけで父さんを失ってしまったような気がするんだ。そういうのって変な考えかたたせよね?でも、ドアは閉めないでおいてね、おねがい。」
 ハミルトンはドアを開けっ放しにしておいた。それからふと思いなおして、半開きにした


レイモンド・カーパー 短編集「頼むから静かにしてくれ Ⅱ」の「自転車と筋肉と煙草」の最後の部分。

なんでだろ これを読んだ
この部分をよんで 涙がぽろぽろこぼれてしまった。
こういう感情ってだれもがある瞬間
ある世代
ある成長の過程で なんとなく 持ってしまうものなのかもしれない。
それに対する郷愁。
そして これは たぶん 親に対してだけでもなく 子供に対しても
こんなに具体的な感じではなく なんとなく 持ってしまうのかもしれない。

今日 コンセルバトリーで 室内楽の先生 ヨランダと話した。
彼女の息子くん 十二歳 と 一緒に オーケストラのクラスに行ってる。
マリアの入学試験の時の試験管でもあった。
今日は 母親同士って感じで話した。

子供って ある時 ふっと 部屋を出て行ってしまうのよね。
友達とか 自分の世界 恋人
でも いつか 戻ってきてくれるのよ いつか。

そうだ たぶん だから涙が出てしまったんだ。

もう少し マリアが小さいとき マリアは もっと 私といたがった。
でも わたしは いろいろ忙しく 弟たちも小さいし なんやかんやで 相手をしてやれなかった。
ママってぱー と 何度 彼女は叫んだことだろう。
あのときは たぶん 子供の時のわたしと知り合ってもっと遊びたいと感じていたのかもしれない。
ふと 気づくと 彼女は この部屋から出て行っていた。
そして 今は わたしが 彼女の歳になって 彼女と知り合ってみたいと 実は
密かに 切望しているのかもしれない。

母とわたしは 今は とても たいせつな関係を築いている。
たぶん この連鎖 せつないようなこの連鎖
そして 母とわたしの関係は いったいいつまで 存在しうるのか
そう思う切なさ。
連鎖の切なさ。

もっと 昔から続く 祖母と母 そして その前 ずっと前
普遍的な親子関係の歴史

いつまでもいつまでも続いていく
やわらかい掌のあたたかさ。

頼むから静かにしてくれ〈2〉 (村上春樹翻訳ライブラリー)

レイモンド カーヴァー / 中央公論新社


by cazorla | 2012-01-19 06:59 | お気に入りのもの | Trackback | Comments(4)

朝の光の中で

朝はいい。
朝の孤独は すがすがしい。
ひとりでいることが とても幸せに感じる。

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現在 深代惇郎氏の天声人語を読んでいる。
この時代 天声人語は 絶対読まなければならない 中学生の宿題だったから
ほとんどを リアルタイムで読んでいる。
今のほうがよくわかることもある。
時事関係のことって 年をへると つまらなくなるものが 多いのに
彼の文章は おもわず ひきこまれて 毎晩 夜更かししながら読んでいる。
世界をユニバーサルにとらえる というのは こう言うことなのだろうと思う。
青島幸男の国会議員日記は 今読むと 退屈であまりにもつまらない。
この違いはいったいなんだろう。

昭和四十九年の天声人語。
とても なつかしく。
by cazorla | 2010-09-01 17:31 | お気に入りのもの | Trackback | Comments(4)

母の家に行く。
日曜日はとても静かです。
母の家に行く のは 娘。
母親がいる間は どんなに年とっても ム・ス・メ だと
母が ずいぶん昔に言った、


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たとえば スペインでは ミスターの代わりに セニョール ということばを使う。
でも これは もともと 父親が死んだ男に対して使われる言葉だったそうだ。
同性の親が生きている間は こどもでいられる。
古の時代には 子供であることは マイナスだったけど
現在では 子供でいることを 楽しんでいる。
しあわせなことである。

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プルーストの「失われた時をもとめて」の中に ムスメということばが出てくる。
ムスメと 日本語でつぶやくと欲情する。
手元に本がないので 正しい文章は覚えていないのだが。
プルーストは やはり 義務にかられて読んだ。
あの有名な 赤いスカートに黒い靴の場面(いや あれは 黒いスカートに赤い靴だったか・・・)
が なぜそんなに良いのかわからぬまま 15・6の時に読んだ。
その中で唯一 覚えているのが ムスメの場面。
きっと これって いわゆる オリエンタリズムだったんだろうな。
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プルーストに今ひとつ弾かれなかったのは たぶん 彼が筋肉質ではなかったからだろう。
筋肉質の作家が好き。
想像するに デカルトは絶対 筋肉質だったと思う。
確かめたことがないので わからないけど。
かなり自信あり。
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ジョン・アービング 村上春樹 ミラン・クンデラ みんな筋肉質。
ティム・オブライエンも好きだけど 彼は 筋肉質なのかなー?

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男は筋肉 と 言った 中島梓譲が 昨年 亡くなった。
彼女だったら きっと 知っていたに違いない。

母の家に辿り着く。
by cazorla | 2010-08-09 14:52 | カソルラ | Trackback | Comments(8)

エンリコ 

マルセル ムルージは フランスの歌手。
実存主義の時代の歌手です。
彼の小説 エンリコは 彼の少年時代をモデルに描いた作品ですが
その貧しさは 日本のプロレタリアートの貧しくとも正しく生きるという
雰囲気とは 全く別の 狂気にみちたものです。
フランス人の母とアルジェリア人の父を持ち
兄は母に似て ブルーの瞳を持つのに
弟である マルセル つまり小説の中の少年 エンリコは
黒い瞳が 父親に似ているために 母の虐待にあっています。
最終的に母は その狂気のために死んでしまうのですが
解説の中で マルセルは オリエンタルと結婚した西洋人の女は
常に オリエンタルの女に対する コンプレックスに悩み続ける
と 書いています。
なるほど そういう立場からの見方
そう言う立場の 問題点 というのを 今まで 考えたことがありませんでした。



エンリコ (1975年)

マルセル・ムルージ / 中央公論社



この本は すでに絶版になっているようですが 安岡章太郎の訳と ユジェーヌ・アジェの写真
そして 細江英公の装丁という 豪華なつくりになっています。

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狂気の母はたんに殴ったりするだけではなく
息子の上におおいかぶさり 淫らな動きをするのだけれど
そういった すべてを しっかり受け取り
軽蔑も嫌悪感もなく
ただ ひたすら 愛情を注ぐ その少年のまなざしが
グロテスクともいえる ストーリーを読者にひとつの物語として
美しいパリの風景の写真に転換していくのです。


マルセル・ムルージが歌う ボリス・ヴィアンの曲Le Conscrit


by cazorla | 2010-07-30 03:17 | お気に入りのもの | Trackback | Comments(0)

50才

先日 久々 景山民夫氏の「世間はスラップスティック」を読みました。

景山民夫との最初の出会いはブルータス。

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この写真。 文庫本からスキャンしたので 写りがわるいですが
この写真と 一緒に エッセイ 「だから 『走れ メロス』は 恥ずかしい」
が 掲載されたのです。
この写真と文章で なんて 素敵な人だろう と 思った。

あれは いったいいつごろだったんだろう。
このエッセイを読むために ブルータスを買っていた。

このエッセイ集にも載っている ひょうきんプロレスをYOUTUBEで 見つけた。




当時 ロス疑惑で話題になった 三浦和義に扮し フルハム三浦というリングネームで登場しています。
(ちなみに 今 三浦和義の漢字を確認するために ググったら 2008年に自殺されてるんですね。
その後 殺人罪で起訴。 亡くなったあとの起訴は かなりまれな例ではないかと思います。
当時 毎週金曜日という 雑誌が出ていて これは フランスの同名の雑誌をめざして
発行されはじめたと 記憶しています。
この雑誌に 三浦和義氏は 時々 随筆を掲載していました。
当時は パリで恋人を食した佐川さんの随筆も連載されていました。
だから というわけでもないけど 週刊金曜日って いつか廃刊になるのでは・・・
と思っていたら いまだに続いているということで
インターネットって いろんなことが すぐ わかって面白いですね。

週刊 金曜日のページ1988年) 
この ばかばかしさがすっごく好きでした。

1988年 『遠い海から来たCOO』で第99回直木賞受賞した時 正直 なんてつまんない本を出したんだろうって がっかりした。 文章もつまんなくなってるし
テーマも 凡庸。
すごーく すごーく がっかりした。
で そのあとの 幸福の科学。

そして 50才の死。 ばかばかしいことをずっと まじめにやっていてほしかったな。


彼が人生の中にもとめていたのは まったく別のものだったのだろうか。

マイケル・ジャクソンも 五十で死んだ。
レイモンド・カーバーも 五十で死んだ。


わたしも 今年 五十になりました。
まだまだ 生き続けていくしかないですが。
by cazorla | 2010-07-16 22:41 | 思うこと | Trackback